いざ、羞恥心の向こう側へ
SNSを、放置してしまう。
でも慣れたい、という気持ちはあるのだ。気軽につぶやけるようになるのが、今のひそかな目標だ。練習として、ライター用に開設したTwitterアカウントを使っている。昨日から苦し紛れに1ツイートをしているものの、正直言って、まだ恥ずかしさはある。
さらにプライベートアカウントの方も、まったく更新できていない。最後にFacebookの投稿したのは2014年だし、Twitterは、2021年4月が最後。Instagramにはぼちぼち出没しているが、自分の投稿は年に1〜2回だけだ。
では昔からSNSで恥ずかしがり屋だったのかというと、そうでもない。
mixi全盛期だった高校生の頃は、毎日のように日記を書いていた。さらに好きなアーティストにマイミク申請を送って、「この歌詞がすごく好きです!」みたいなファンレターまで送っていた(迷惑)。
異変が起きたのは、Facebookだ。
大学に入ると、一気に「友達」が増える。増えれば増えるほど、投稿での言葉遣いに悩むようになった。
mixiは同級生ばかりだったので、悩むことなど何もない。思いっきり大阪弁+タメ口で、日記を書いていた。しかし、だ。先輩や後輩だけならともかく、先生ともFacebookで友達になったものだから、「ちゃんと書かないと」という気持ちになってしまった。
そこからは演奏会の告知と、大晦日に「良いお年を」を言うだけの投稿にとどまり、2014年を最後にFacebook投稿を引退(?)した。
きっと「いい子」と思われたい気持ちが、あったのだと思う。戻れるのなら「自分が思っているほど、みんな興味ないよ」と言いたいけれど。
話はTwitterに戻って。
例えば本を買う。読んで、感動したとする。溢れんばかりの想いはあるのだが、それをツイートするのが怖いと思ってしまうのだ。
「こんな薄っぺらい感想しか書けないのか」
と自分に絶望するのが嫌だし、怖い。
まぁ、でも。実際「日本中が絶賛する感想文」など、なかなか存在しないだろう。そうだ、世間は思うほど、わたしに興味がない。
呪文のように唱えていたら、いつか怖くなくなると信じて。感想や意見ツイートも増やしていけたらいいなぁ。
ちなみに、今日のツイートはこれだった。
まさに「誰が興味あんねん」だ。でも、本来のTwitterってそうじゃないか。自分が思ったことを、素直につぶやいてこそのTwitterだ。(知らんけど、多分そう)
……めげずに頑張ります。
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