静かにあなたを思う

先日、親族の法事に参加してきました。

母たちが争ったお陰で、その日祖父を悼むために集まったのはうちの家族だけ。
他の親戚たちに気を遣う事がないのである意味過ごしやすくはありました。

少し前に母が人の食事時にかけてきた電話では、法事の日にまた相続争いの近況をじっくりと聞かせてやる…みたいな予告をされて内心うんざりして、当日もそのせいで若干足取りが重かったのですが…。

父や兄も居たからか、聞きたくもない近況報告は聞かされずに済みました。

父には少し前の正月の帰省終わりに“本当は実家に帰って来たくない”って事を話してたし、
兄にも、母の事には心底うんざりしてる事を折りに触れて話していたので、
恐らく何となくそこらへんを…気遣ってくれているのではないかと思われました。
二人ともはっきりと意識してそうしてるのかは分かりませんけど。

特に兄が、やたら優しくて調子が狂います。
(お陰で帰りは楽だった…)
まあ…今更私が何もかも嫌になって、いきなり家族のしがらみを捨てて何処か遠くに逃げたら、自分にも色々不利益が生じるというのもあるし、
私たちは母たちみたいにならないように…と、兄も思っているのかもしれません。
(少しは弟もその辺考えてくれてると良いんですけど…)

そもそも、今回私が自宅から直接出向いて日帰りで帰って来れた事自体、誰かの意思が働いてるような気はしますけど…。
こういう時、以前なら当たり前のように前日から実家に帰って来させられて、意味なく泊まらされ、法事に参加後また実家に戻って泊まらされ、次の日の夜遅くになって自宅に送り届けられるってパターンでしたでしょうから。

やっぱり今までのパターンは母の要望だったのだな…と思いました。

_ここまでタイトル詐欺みたいな内容ばかり書いてましたけれど(笑)。

あれから約一年…。
私にはもう……ずっと昔の事のようです。この一年近くに自分と周りに色々あり過ぎて。
優しくて、争いを望まない人だったから、あの人が生きている間は平和だったんだろうな…。

祖母が祖父の事を、“とても優しい人だった”と、祖父がどんな人かと聞かれて真っ先に話すのを見ると、彼らの年代を考えたら本当にそうなんだろうなと思われます。
(母が云うには、『とても頭の良い人』でもあるらしい…祖母は人柄を、母は能力を評しているのが両者の違いを表している気がしました)

祖父は昔の男性らしく余計な言葉を発さず、私は私で祖父とどう接すれば良いのか分からない内気な子どもだったので、余り一緒に遊んだりとかの記憶は無いのですが…。
振り向けばいつも、穏やかな表情で微笑んでくれる姿はやはり、優しい人という印象でした。

本当に、この人から何故母たちのような娘たちが生まれたのかと思うくらい…。
(母曰く、祖母は若い頃はもっときつい性格だったらしいから、そっちに似たのかもしれないけれど…)

若い頃から苦労し続けて、身体もあまり丈夫でなく、色んな病気に苦しめられて、親しい友人たちは自分より早くにこの世を去り…。

晩年の祖父は、果たして幸せだったのだろうかと思う事は何度もあったけれど、かと言ってそれを自分が口に出すのもなんだか烏滸がましい気がして。

私は祖父母らの年代の人からすれば行き遅れで子どももおらず、おまけに長いこと安月給の貧乏暮らしで、期待外れな上に心配しかかけてない駄目な孫だったけど…。

身体が丈夫じゃないところと身内にあまり恵まれなかったところは似てるかもな…と、改めて考えてみたら思いました。
(友人が早くに亡くなっているのも)
まあ、私自身も自分を不幸だとまでは思ってないから、祖父もそうだったであろうと思いたいです。

個人的には信仰心とか持ってないし、天国だとか地獄だとか、なんなら因果応報が平等に起こるなんてのも普段信じちゃいないんですが。

戦中・戦後の大変な時代を必死で生き、次世代に命を継いで最期まで頑張って生きて私たちの平穏を守ってくれていた優しい祖父の魂がどうか安らかであって欲しいとは願っています。

心配ばかりかける子孫たちだったでしょうが、もう心配しなくても良いよ。
私らの失敗や愚行は、あなたのせいでは決してないと思うから。
後の事は、この世に生きている人たちの問題だから……。

_叔母の一人が、「お父さんにはちゃんと遺言を遺していって欲しかった」などと言っていたと兄から聞きましたが…。おそらくそんなもんあったとしても、どうせ今と大差ない愚かな争いを起こしてたに違いないくせに、おじいちゃんのせいにしてんじゃねーよ!…と怒りが湧きました。

私たちは、絶対にああはならない、なりたくない。

甥や姪の柔らかな頬に触れて、この子たちを将来憎んだり、憎まれるような間柄になんて絶対になりたくないと心から思います。

自分たちの身の丈を超えず、周りの人たちを大切に、時には気持ちをちゃんと言葉に表して。全ては分かり合えなくても、相手の事を諦めずに尊重し続けられるよう、努力していきたいです。
それが家族というものではないかと。

魂がもしもあるなら、そんな私たちの事は気が向いた時にたまに見に来たり考えるくらいで良いですから、先に逝った友人たちと麻雀でもしてゆっくりと楽しんでいてください。
もう、時間はいくらでもあるのですから。

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