出ガンダム記――戦争を知らない戦争屋達に拠る政治劇――

「ガンダム 鉄血のオルフェンズ 第二期」を見ている。
色々と、酷過ぎる。
先ず、昨今の中堅‐大御所アニメ専門脚本家達へ(名前は敢えて言わない)。
そして、諸々の所謂、「アナザー・ガンダム」へ。
戦争の描写があまりに稚拙である。
戦争とは物語ではなく、状況なのだ。そのリアリティを描写し得る手腕に欠けているに足らず、
政治劇とロボットアクションの連鎖に拠ってプロットを成立せしめるのみという短絡振り。
あまつさえ「悪の象徴を正義の味方たる主人公が倒す」という、最も容易な英雄譚をなぞるのみによって悦に入って終っている。
絶望的な想像力の欠乏である。

もう一度言うが、
戦争という状況の現実的不条理を髣髴とせしめる才気も、技巧も欠乏した脚本家達。
自己満足に汚れた総括としての戦争夢物語を押し付けられる身にもなって頂きたい。
陳腐な――当人も信じてはいないような――正義論を振り翳されてもわれわれは、気が滅入るだけだ。

唯一つ、「鉄血のオルフェンズ」に於いて収穫であったのは、
岡田磨理史のひたむきな脚本への誠意と、長井龍雪氏の真摯な倫理観に触れ得たことであるとだけは、明言して置く。

もはやわれわれは、現実の戦争の辺縁に存在をしている。
肝要なのは、
総論としての戦争遊戯ではなく。
各論、つまり個々人の状況が捩り合わさって、戦災という現象が起り得る事実への警鐘なのではないのか。

総論としての戦争の善悪を決定するのは歴史の役割である。
悪の親玉の首級を挙げれば戦禍が終結する、と謂った稚拙な感性で事態の趨勢を観照してはならないのだ。

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