國敗れて

  
譲位せし偽花魔王蟷螂の肩さびし。燕子花図のつだつだ

上村松園花筐へ狂れつほほゑむをみなありける。眉墨の面

岩倉村狂人病院。碁を指しき縁側にひろがりし枯山水

庭梔子の花しらじらと不吉なる係累絶たれ末嗣は 底翳

李夫人が曲舞などわすれたる頃に振り紛る秋紅葉が赤すぎる

いつしらに秋の近江の忘草ふる霜を梅雨といひきたれかは

火蛾図 掛軸のごとはたはたと揺る扇風機風切羽五枚

ポスター展見離きてかへらむとせるに超絶技巧練習曲のピアノ

音樂教室破壊さる天才ひとりに葬送曲譜調「海征かば」

万愚節へ降つて沸きぬ阿蘭陀蓮華箱詰めにカンバーランド公爵「泪零」
  
  
叡智父母の父衰へるかきつばた伐つてかなし。つばくろの惨事

菩提寺の月晒れて柳花枯白しうちすててむごたらしき墓群ある

睡蓮花浮橋の阿へ燃え昏き印象派写実画家黒田清輝氏

朝妝図靑き敷布にして裸婦立てり。鉛膚白からむ大硝子

目醒めきをみなふたりかたへは画に、かたへはパリ市鏡屋に

侯爵夫人と菊花 不可視の姿見自明す幽世にはたたず はなは

薄明或は薄暮の化粧臺に結ふ黒き鬘毛髪へをとめ梳り

貴婦人、貴公子ら連れ立ちき曠野の時計鳴響くなり 木々

朝妝事件十四人の監査員争論す「裸木とはみだりなる」

裸婦図神戸空襲焼失 生膚の爛るる鏡の外に體躯累なり
  
  
尊影をもつて何とす黒光る位牌報國院義烈忠心居士

淡雪に神戸北野異人館焼け残りたるその尖塔風見鶏

白南風にひろがる火傷なす町へ市民、空襲区域かへらず

焼夷弾朝火事の記者はけふならず 鸚鵡とは能く言はねども

今こそ叛‐叛平和碑建てむ かつては焼跡なりし火薬庫

幼時洗礼水盤へおとうとなまぬるき旋毛灼かるは日晒 

遊就館兵器展しりへに退室す かるがるし。をろかものども

朴の花そののちをくろがれて死屍累々につりさがり ぬか落つ

夏雹へ向日葵園くくられて茎項垂れり、顔一面へ蜂窩

ゴチック書式墓影迷走せり地下納骨室に油痕 焦土なりしか
 
  
創造は死の旅路へにたり鍾乳洞いづれば昭和二十年弥生月

夏の野にしらえぬひめゆりのおりかさなり苦し。黄燐燃えたちき髪

地下壕へ血の繃帯しづやかに溶けつつあらむ。兵士呻くも

火炎放射器の巖肌舐めて暗闇をのがれのたうつ ひとなりし骨と骨

火焔地獄図大鶏の如く火吐くいもうと闇搏つ羽の息絶ゆるまで

集團自決せよとはいへど将校は 信管を抜きぬも兵卒

浅土掘つて埋めむ遺骨、やけただる縮緬の衾着の嬰児

しがらみの内外隔てなき捕囚となりぬ写真、人とは呼ぶも

供物なり姫百合の偶弁花とは常に生死の死にちりし 畢ぬ

慰霊碑直下へ納骨堂の眞闇白砂となりなむをとめの数多
  
  
戦争は畢ぬ突如君が代の流るる正午 無電機のこゑ

八月十五日聖母被昇天祭日に或は涙、ぬか喜びて人

喀血痕しろく干されきシーツより敗戦忌つづきて半旗

午後の町。ひと賑はへり忘却し花嫁蜜月旅行より帰る

戦争はしらざれど無垢の仔B‐29航空機へ弾薬接着す

うちつけに明るき美空ひばり指す一本の鉛筆の芯の鉛も

戦禍に平和に戦禍をりふしに 燐寸ゆ消ぬる数多のともしび

春霞たつ山寺へ八重櫻くれなゐの累かつて死者三百万あり

京都靈山護國神社所収「御旗」とかけはなれてたつ一兵は

小早川秋聲「國之楯」に死す兵隊のゆくへ國家にあらず
  
  

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