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須賀敦子が歩いた街 8.

シエナ

30歳を過ぎた頃から、ヨーロッパにある「美しい」と賞賛される街を次から次へと旅してきた私ですが、最初にこの街を見た時、それこそ口がポカンと開いてしまうくらい見とれてしまった街、シエナ。私の夫は20代の頃からイタリアに傾倒し続けている筋金入りのイタリア信奉者ですが、その彼をして「イタリアの中で最も美しい街」と言わしめる街、それがシエナです。

そして、イタリアに住み、旅して回った須賀敦子も、『シエナの坂道』というエッセイで、この街についてこんなふうに書いています。

[...] かつて暮らしていたミラノでは、手のとどかない遠さにみえたトスカーナをもっと知りたくて、仕事のあいまを縫っては、フィレンツェをはじめ、奇妙なあかるさのあるこの地方の町をつぎつぎに訪れた。なかでもシエナは好きな町で、機会あるごとに、私はこの丘の町に帰っていった。

『須賀敦子全集 第4巻』河出文庫, 2007年

指を折りながら数えてみると、私は既に4回シエナを訪れていますが、いずれも須賀敦子の著作を知る以前のことでした。非宗教的人間の私が聖カタリーナについて知るわけはなく、従って須賀敦子が探し歩いた「聖カタリーナの家」がシエナに存在することももちろん知りませんでした。
私の認知特性は視覚優位です。記憶した事柄を、文字や音でなく主に画像で思い出すのです。一度行った場所なら地図を見ることなしに迷わず歩き回れる自信があります。道の角を曲がった後の風景が、次々と目に浮かぶからです。
今、PCのキーボードの上に手を置いたまま目を閉じると、シエナの街角が鮮やかに頭の中に浮かんできます。彼女の記述を頼りに、記憶のなかのシエナの街を彷徨ってみます。大聖堂の近くにあるという「暗い谷底に降りるような坂道」を探すと、それらしき坂道の角に、私は立つことができました。しかし、そこから先の記憶は蘇りません。たぶん、学生の頃の須賀敦子と同様に、坂道の入り口には立ったものの、そこへ降りてはいかなったのかもしれません。

私の頭の中に浮かんだ坂道の入り口。それが須賀敦子が学生の頃見たはずの坂道なのか、それとも単なる私の勘違いなのか。これを確かめるために、どうやら私はいつかもう一度、シエナに行く必要があるようです。

後記

和辻哲郎はその著書『イタリア古寺巡礼』において、シエナについてこんなふうに書いています。

市庁の前には半円形のカムポ広場がある。中世の面影をそのまま伝えている広場として有名であるが、広場を取り巻く建物にも十四、五世紀のものが多く、なかなかゆかしい感じであった。

和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』岩波文庫, 1991年(2023年復刊)

この和辻哲郎が約100年前に書いたシエナのカンポ広場の様子はまさに誇張でも何でもなく、今でも変わらずそこに存在しています。実際、シエナの市壁の内側は数百年ほとんど変わっていないのではないでしょうか。しかもその古い建物には、今も人々が生活し、日々の小さな悲喜劇が絶え間なく続いている。シエナは過去という堅固な土台の上に、日々新しい毎日を築き続ける「生きている街」なのです。

数百年、その姿をほとんど変えず生き続ける街。
そんな街、日本にあるのでしょうか。

私の出身は東京です。生まれたのは横浜ですが、すぐに東京へ移り東京で育ちました。年に何回かヨーロッパを旅行する以外は、関東地方から殆ど出たことがありませんでした。それほど長い時間を過ごした東京ですが、その東京を自分の故郷だと思ったことは一度もありません。私にとって、東京はいつも「仮に住んでいる場所」でした。ですから、ドイツに長く住み日本の味を懐かしく思うことはあっても、東京へ行きたいと思ったことは一度もありません。本当に一度もないのです。私が子供の頃に住んでいた家はとっくの昔に取り壊され区画整理が進み、かつてそこに何があったのか想像すらすることができなくなりました。毎日暗くなるまで遊んだ公園は駐車場になりました。仲の良かった同級生の家が営んでいた風呂屋も酒屋も呉服屋も、いつの間にか消えてしまいました。小学校や中学校は残っていますが、Google Mapsの画像を見ると校舎は改築され、私が通学していた当時の面影は全くありません。今更そんな場所に行っても、ただ悲しくなるだけです。

イタリア人のアイデンティティは「イタリアという国」よりも「生まれた場所」に支配されると聞きます。それは、その場所が何百年もの時を経ても常に変わらぬ姿でしっかりと実態として存在しているからではないでしょうか。フィレンツェに住む義理の叔母は、自分のことを「イタリア人」ではなく「フィレンツェ人(Fiorentina)」と言います。叔母がそう口にするたびに、その言葉とともに微かな誇らしさが溢れ出るのです。私はそれを心から羨ましいと思います。

(この記事は、2019年7月13日にブログに投稿した記事に後記を書き加え、大幅に写真を入れ替えた上で、転載したものです。)