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時間の感覚

母がヨーロッパの文学や音楽に強い関心を寄せていたせいか、ヨーロッパは幼い頃から私の身近にありました。大学での専攻は比較政治で、主にヨーロッパの政治・歴史・思想について勉強していました。30代を過ぎたころから、ヨーロッパには度々旅行していました。そのせいか、私はドイツに移住した後も、ドイツという国の文化や習慣などに対し、コペルニクス的転回を強いられるようなカルチャーショックなるものを受けたことはありません。確かに「日本にいる時のようには物事が運ばないのだ」と思うことはあっても、常に「まあこんなもの」というところに落ち着きます。不安に感じたり、怒りを感じたりすることもなく、むしろ、東京にいた頃より毎日のびのびと暮らしています。

...が、そんな私でも「ありえない」、「理解不能」と思ったことがありました。ドイツ人に対しそう感じたのではなく、ドイツに住む外国人に対してそう感じたのです。

ドイツに移住して2年ほど経過した頃から、最も苦手とする「話す能力」を磨く(マシにする?)ために、私はC1というレベルの少人数の短期集中講座に3回ほど参加しました。最初の2回のクラスメートはロシアを含む旧東欧出身者ばかりだったのですが、3回目はメキシコ・ブラジル・ベネズエラ・インドネシアと、実に様々な国から来た人々と一緒になりました。比較的落ち着いた雰囲気だった2回のクラスの雰囲気と比較すると、この3回目のクラスメートはみな明るくて社交的。授業中も間違いを恐れず、次々に積極的に発言。休み時間も一緒に過ごし、様々な話に花が咲き、「これなら楽しく過ごせそう」と私は非常に期待したものです。

しかし、それは間違っていました。

コース開始後、2週間も過ぎた頃からでしょうか。授業開始の9時に全員が揃わなくなってきたのです。そのうち9時に席についているのは、先生と私だけという日が多くなりました。カナダで大学院まで終了し、母国では建築設計士だったというメキシコ人女性が10分くらい遅れて教室に入ってきて3人で授業開始という日も多くなりました。では、他の人は休みなのかというと、そうではなく、あと1時間で授業も終わりという11時頃とか、ひどい時は授業終了間際に教室にやってきます。悪びれることなく「こんにちはー!」とニコニコ笑いながら。たまりかねた先生が「ドイツではけっこう時間には厳格なのよ。9時開始といったら9時には開始するの」とやんわり注意すると、遅刻者たちは全く人ごとのように「はーい!」とニコニコ答えたりして。私は思いました。理解できない。

子供の頃、私の家には「時間厳守」という厳しい掟がありました。すなわち、「遅くとも約束の時間の5分前にはその場所に来ていること。約束の時間に遅れて人を待たせるということは、誰に対してであっても、大変失礼なことです」。
就職した直後の研修期間中には、こんなふうに厳しく言われました。「『9時就業』というのは、9時に職場にくるという意味ではない。9時前に職場に到着し身の回りをすべて整え、9時から仕事を開始することだ」。事故などで電車が遅延したことにより、就業時間に遅れた場合であっても、既に皆が仕事を開始している職場に遅刻して入る時は、恥ずかしいような申し訳ないような気持ちになったものです。ついには、列車の遅延にイライラすることがないよう(なおかつ、比較的空いた列車に乗れるという利点もありましたが)、私は8時より前に職場に到着するようになりました。自分が早く出勤するようになって気づいたことは、早朝出勤者たちが実は少なからず身の回りにいたということです。
もちろん、遅刻常習者はいることはいましたが、彼らは絶対的少数派でした。そんな人でも遅れて職場に入ってくる時は、申し訳なさそうに入ってきましたし、遅れた理由をしどろもどどろになりながら述べたものです。遅刻者が「おはようごさいまーす!」などと明るく元気に入って来たりすることは絶対にありませんでした。

そんな家で育ち、そんな勤務先で長く働いていたものですから、この「遅刻をへとも思っていない態度」には、正直唖然としました。長年にわたり日本で私の中に構築されてきた「常識」の限界を越えている。そう思いました。しかも5分や10分といった「ついうっかり」系の遅刻ではなく、30分、1時間という、「来る気があるなら、何故そこまで遅れるか」という派手な遅刻です。そこで、授業中の教室のドアをバターンと景気良く開けて「おはよー!」と入ってくるか、コラ。「おはよう」じゃない、「すみませんだろうが」、...と喉まで言葉が出かかりましたが、「これが中南米、これが東南アジア」と思って諦めることにしました。

こんなふうに書くと、なんだかイガイガした人間関係を想像なさるかもしれませんが、実は最後までとても仲が良かったんですよね、私たち。授業後もWhatsAppでおしゃべりしたり、宿題の相談をしたり。お昼にもずいぶん一緒に行きました。でも、「お昼に行く前に、ちょっと家に寄ってくる」と言ったクラスメートが、私を含む残りのメンバーが昼食を平らげるまで全く姿を見せなかったり...なんてこともあったりして、繰り返し「時間の感覚に関してだけは、絶対に相容れない」と確信することが何度もありました。

最後にもう一つ。

こんなに仲が良かった私たちなのに、コースが終わったとたん、申し合わせたようにパッタリ彼らとの連絡が途絶えてしまったことも、書き添えておきます。
いやはや。やはり理解できない。

後記

その後、残念なことに中南米の人々と再び密接に接する機会を得られていないため、彼らが特別だったのか、彼らの国の時間の感覚が私のそれと激しくズレているのか、本当のところはわかりません。でも、まあ、「時間には厳格」なはずのドイツでアレですから、彼らの感覚がおかしいのではなく、日本で身につけた私の時間の感覚が少々厳しすぎるのではないかとは考えています。…いや、考えていました。
ある夏の終わり、ドブロブニクへ行きました。旧市街に近い場所にアパートを借りて、空港とアパートの往復はタクシーを利用しました。「南欧だから時間どおりには来ないのでは」と危ぶみ、常に早めの時間をタクシー会社に告げておいたのですが、往路も復路も私たちがスーツケース片手に指定の場所へ行くと、タクシーは既にそこで待っていました。運転手さんの「道が混んでいて約束の時間に遅れるのは嫌なので、いつも10分前には指定された到着するようにしているんです」という言葉を聞いた時は、涙が出そうになりました。ワンダフル。ここはヨーロッパじゃないんじゃないの?
そうよ、そう、そうなのよ。待ち合わせの時間とはこうあるべきものなのよ。このセリフ、あの中南米出身のクラスメートに聞かせてやりたい。でも、やっぱり、あれだな、「はーい!」と威勢の良い返事だけが返ってきて、結局何も変わらないんだろうな…。

(この記事は、2019年12月9日にブログに投稿した記事に後記を書き加えた上で、転載したものです。)