母について、
母の話をする。わたしの母について。
わたしは母が24の時に生まれた子。母にとって初めての子だった。
母の恋愛遍歴はあまり知らないが、父と結婚するまではそんなに恋愛はして来なかったように思う、聞いた感じは。
そのせいなのか、同じ職場で出会った父とは交際3ヶ月で入籍する。
母は箱入り娘だった為なのか祖母、母から見て実母に全額支援を受けたそう。
自分が結婚を具体的に意識するようになり、3ヶ月での婚姻の非現実さに改めて戸惑う。
母も父も自己中な人間である。
父は母の妊娠が発覚する頃、不倫をする。
良くも悪くもピュアだった母はわたしを下ろして離婚をしようとした。
そう、わたしは母に殺されそうだったのである。
当時、父方の祖父母の家に住んでいたのだが嫁いびりがひどかったと聞いている。
母は実家に逃げ帰り、お腹の子を下ろすと散々泣いたそうだ。
実母、私から見ると母方の祖母の説得を受けて下すのを止まり、父ともやり直す決意をした。
でも、母は、父も、子どもを持つべきではなかった。
子どもよりも自分が一番大事という人だからだ。
というのはスタンスの話ではない、行動の話である。
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ある日テレビ番組を見ていた。
運転していた車を別の車か、、、建物か何かにぶつけてしまい、その衝撃の反動で助手席に座っていた子どもが前に倒れこんでおり、頭から血を流している、、、
という状況だった。
あなたならどうする…?というテレビの問いに母は
「わたしならその場から逃げる」
と、ぼそっと言っていた。
それは、子どもごころにとても、とてもショックだった。
子どもの生死は関係ないんだ、わたしならってことはその助手席に座っていた子どもはわたしかもしれないのに?わたしの容体も見ずにその場から逃げ去ってしまうの?まだ、わたしは生きているかもしれないのに?
上記はわたしが小学校4年生くらいの話だったと思う。
***
その後、母は同じ職場の男と不倫をする。
当時父は長期出張中。
父も同時に不倫をしていた。
その皺寄せは子どもの私たちに来た。
母は男にうつつを抜かしていて、私たちの夕食を作らなくなり、夕食を作らなくても平気なことがわかると母はだんだんと帰ってこなくなった。
それが1日、2日と伸び、1週間近く帰ってこない日もあった。
その間の家事はわたしが全て行なっていた。
次に母は職場のストレスからうつ病になった。
また家事をしなくなり、いや、今度はできなくなり、家は荒んでいった。
わたしも家事をやる余裕がなく、家事は妹に一任されてしまった。
母の"ネグレクト"はわたしが中学3年生、うつはわたしが高校3年生。どちらも受験生だった頃だ。
どうしてこんなにわたしの人生の一大事を邪魔するんだ、「大学受験は家族との団体戦だ」なんて塾で言うから余計に肩身が狭くなってしまった。
わたしには、支えてくれる家族はいないから。そのリソースはさけない。
***
もちろん母は母らしいこともしてくれた。
慰めてくれた、抱きしめてくれた。
下ろそうとしたこととかも母の口からは聞いたことない。
だけども、上記のことを忘れることはできない。
むしろ、わたしが自分の家族を作っていく過程で強く思い出されるものなのではないかと思っている。
実際にその状況をなぞる事で、いかに実家が異質だったかをより肌で感じてしまうから。
わたしにとって"結婚"が具体的になればなるほど、母がわたしを下ろそうとした事実とかが、思い出される。
こんな経験誰にもしてほしくないが、その事実はわたしにとってとても大きい。
愛されるべき、愛されていい人間なのか、根幹が揺らぐとても大きいトラウマだ。
***
そんなわたしにも将来を考えられる彼がいる。
彼の家は家族仲は良好だそう。
事実、今も夫婦で一緒に住んでらっしゃるし、なんなら一緒に出かけたりもしているらしい。
そういう"健全"な家族とわたしの"不健全"な家族の狭間に立つわたしは勝手に苦しむのだ。
***
結局はわたしは一生苦しむのである。
これは呪いだ。
呪いにもたくさん種類はあるだろう、
学歴?病気?
出自に関わる呪いが一番恐ろしいのだろうな
自分の根幹だから。何をしていても、ついて回るから。
わたしにとってそれが実家だった。
親がいなければわたしは生まれていない。
けれど、わたしにとっては呪いだ。
この呪いを解くことはできないかもしれない。
前を向け、過去なんて忘れろなんていわれてもそんなの無理に決まっている。
気味の悪い呪いと共に今日もわたしは生きるのだ。
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