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ひとつ500円、気持ちのいいパン、あるいはワンコインの行方

マルゲリータクロックムッシュ 480円

パンの上に薄くひと塗り…、どころではない。たっっぷり厚さのあるベシャメルソースのもったり優しい味わい。炙りチーズの香ばしさ、塩気。トマトの酸味とバジルの爽やかさ。もっちりとしたパンに絡みつく。こぼれ落ちそうなほどのトッピングにも負けない、豊かな小麦の香り。

ほんとうは480円だったのだが、少し話を盛ってしまった。今日は、500円払ってもいいなと思えるパンの話をさせてほしい。

わたしは今、春の霧雨に降られながらかれこれ1時間ほど、コボトさんに並んでいる。コボトさんというのは、住宅街にひっそりと居を構える11時オープン、行列必至のパン屋さんだ。

パン屋といえば、朝早くに開いて夕方には閉まっているイメージだが、コボトさんは週3日11時開店の完売次第終了(早いときには12時台に閉まる)。わたしの知る限りではロスパンゼロを達成し続けており、働く人も食品も持続可能なサスティナブルパン屋さんなのである。

販売スペースは3畳ほどで、一度に入店できるのは3組までと貼り紙がされている。SNSの投稿からは、こじんまりした店舗に似つかわしくない量のパンを仕込む様子がうかがえる。それでも、12時ごろに訪れるとお目当てにしていたパンが手に入らないことが多いので、開店前から客が殺到するというわけだ。この日のわたしは、前から10番目ぐらいに並んでいた。

店員さんの気持ちのよい挨拶でシャッターが開く。デニッシュとハード系がメインに販売されていて、クリームパンや、あんぱん、カレーパンのような王道パンは不在だ。ショーケースのなかで照明を当てられているわけでもないのに、陳列されている姿はケーキ屋かと見紛うほどに美しい。

「映え」という言葉で一括りにしてしまうには忍びないほどの美しさだ。ケーキはよく宝石に例えられるが、コボトさんのパンは繊細な指捌きで生まれる民藝品のような、落ち着いた輝きを放っている。

マルゲリータクロックムッシュ、ナスとボロネーゼのタルティーヌ、サーモンときのこのキッシュ、ラムレーズンフランス、桜あんデニッシュ、ブラッドオレンジデニッシュ、パンスイス…

10cm×20cmほどの大きなクロワッサンは、思わず数えたくなるくらい何層にも折り重なっている。はじめてコボトさんに来たときは、パン屋の概念を覆されるほどの衝撃を受けた。

層の美しいショコラボール

昨今の値上げのラッシュにも真っ向から立ち向かい(?)、サイズを小さくしたりすることはない。溢れんばかりに詰め込まれたフィリングパンの具材と、たったひとつでも満足できるほどのサイズ感がたまらない。お値段のアベレージは400円強。

気持ちいい、気持ちいいほどの潔さ。

巷では新発売の名のもとに、既存商品が改良ついでにひとまわり小さくなって帰ってくる現象がしばしば起こる。わたしは価格据え置き詐欺と呼んでいるが、パンをかじって中身までスカスカだと、もの寂しく感じてしまう。

店主の言葉を借りるなら、「自分の食べたいパンを作っているだけ」。わたしも食べたい、コスパとかそういうものにとらわれない、バターたっぷりクリームたっぷり、欲望マシマシのパンを。

ひとつで満足とはいったものの、コボトさんに来たからには食べたいものは全部買っておかないと、次に並べる日はいつになるかわからない。

一番のお目当てだったマルゲリータクロックムッシュはしっかりゲット。思いつくままにトレーにのせて、お会計、しめて3825円。気持ちいいほどのやったりました感。

こんなにも気持ちよく買い物ができるのは、手にとったパンの向こう側を見通せる透明性があるからだと思う。コボトさんが何にこだわり、どれだけの利益を得ているのか、気持ちいいほどの潔さで、売り上げや利益率までも公表している。

コボトさんが最もこだわっている(とわたしが思っている)のは、国産、しかも県内の農場、ナカツカサファームで育てられた有機小麦を使用すること。自家製粉で毎週挽きたて、小麦以外の材料も、店主の思いも買い手に見えるようにきっちり示される。

自分が何に対して500円支払ったのかがわかるのだ。ただただ値上げの波に飲み込まれ、毎週の食費に否応なしに溺れそうになっているのとはわけが違う。ここでは、おいしいパンに対価を支払うのが気持ちがいい。

パン屋のパンがひとつ480円、高いと感じるだろうか。Googleのお店情報でも、価格帯を見れば高級と書かれている。たかがパン、数分で胃の中に消えていくそれに、500円は高いと、それだけで片付けてしまってよいのだろうか。

食べ物がわたしたちの手に届くまでの距離はどんどんと長くなり、食卓にのぼるときには原材料を作った農家さんの顔も生産地も全然わからないことがめずらしくない。

ここではワンコインの行方がわかるから、気持ちよく支払える。払うべき場所に向かってリスペクトを払っている。小麦を有機栽培することはどれだけの苦労だろう。その苦労は想像することしかできない、というのも烏滸おこがましいくらいだ。わたしの支払うたった500円で、その苦労が少しでも報われるというなら、喜んで払う。むしろ払わせていただいている。

そしてふと思ったのだ。あれ、この感覚どこかで。そうか推し活だ。推しの小麦農家…、おぉ、なんかかっこいいぞ。

あなたの糧がわたしの糧となります。

コボトさん、ナカツカサさん、願わくばこれからもおいしくて安全な小麦とパンをよろしくお願いします。


「推し農かつ」記事、つづく。

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