春が来る前に私は

最近の私といえば、なんだか前よりもすっきりとしている。目標が決まったからだと思う。私にとって目標を失ったまま生きるのはとてもつらいみたいだ。

といっても完全に症状が改善したわけではないから、今日新しく紹介してもらった心療内科に行ってきた。これがすごく当たり。今まで心療内科では嫌な思いしかしていなかったし、もう二度と行きたくないと思っていた。でも友人がすごく心配してくれていたのと、もう実家に帰るから、東京の良さそうな病院に行っておくなら今だと思った。というか、変な話だけど、症状が病院に行ける状態まで回復したんじゃないかと思う。本当に酷いときは病院に行く気力さえ奪われるから。

今までの経緯をまとめた紙を持って行って、先生と幼少期からのこと、家族のこと、色々な話をした。そして今私を直接的に苦しめている問題について。そうすると先生は「これはだれでも鬱になる」と言っていた。ああ、私の苦しみは間違ってなかった(?)んだと思った。そして、一度の診察で病名をつけることは出来ないけれど、ものすごく雑に書くと、私の症状はパワーがある系の鬱みたいな感じだと言われた。いわゆる「私なんて無価値だ、誰かに迷惑をかける前に死んでしまいたい」みたいなのとはまた違うらしい。なんだか、やっとしっくりくる診断をされた気分だった。専門じゃない人に「あなたは元気だから鬱なんてありえない」と言われたことを思い出した。

そして私は鬱な部分とパワーが両方ある反面、その勢いで突発的な行為に出るから危険だと説明された。それで死んでしまう人も少なくないらしい。たしかに私は実家に帰ると『レディバード』の最初のシーンみたいに走行中の車から飛び降りようとしたりするから、かなり当てはまってた。 過食も。

病院を出るとまだ日が出ていて、いつもより吹く風が暖かかった。気のせいかもしれないけれど、少しだけ春の匂いも混ざってるみたいだった。私はひどい花粉症だから、すでに花粉をキャッチし始めていて、余計にそう感じるのかもしれない。

ここまで本当に長かった。おそらく、自分が思っているよりたくさんの人に心配をかけたし、今でもかけているのだと思う。特にいつも親身になって応援してくれる近所の友人。私が自分でできないとき、病院の予約まで電話して取ってくれた。私が遺書みたいなものを書いた日のことを考えると逆の立場だったら耐えられたものではないと思う。

そして私は今ほんとうにどうにもならない状態だけど、大切な人たちに何かあった時は力になりたいし、幸せになってほしいと思っている。
昔からの友人のことを勝手に心配していたのも、こういう気持ちがあったからだろう。けれど、その友人はその間にもいつのまにか本職とは別に資格まで取って、自分の道を進んでる。私、まじで人のこと心配してる場合じゃなかった!

今日はそんなことを考えながら、『花より男子』に出てくる「自分自身が幸せにならないと、その幸せで誰も包んであげることができないんだよ」みたいなセリフを思い出してた。本当にそのとおりだと思う。
誰かを幸せにしたかったら、まず、自分が幸せにならないといけないのだ。そのことをふまえて、私は私を幸せにしたいと思う。

もちろん、大好きだったジョンとは違う形で。今年私はジョンが亡くなった歳と同い年になる。私はその先も夢を追う。なにがなんでもここで幸せになる。私自身のため、大切な人たちのために。

#エッセイ #日記 #フェミニスト #フェミニズム #レディバード #花より男子

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