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くるいんちゅ(波木ぺん)

 みなさまお久しぶりです。波木です。2年前の銀座公演から季節は流れ、どうやら今年の春は再放送名物、狂人(くるいんちゅ)たちが帰ってくるようです。

狂人(くるいんちゅ):2年前の公演アンケートにおいて高橋作品に登場するキャラクターたちに付けられた名称であり、以降ぺんが気に入って勝手に使い続けている。

 『月華世紀末狂騒曲』を初めて読んだのは4年前でした。劇団再放送の構想すら存在していなく、当時高橋と所属していた劇団の存続が怪しくなりこれからどうやって演劇を続けようかと思案していた頃のことです。最初の数ページを読んで、素直に凄い同期がいるなと思ったことを覚えていますし、この作家が上演できる場をなんとかして作らなければとちゃんと考え始めたのもこの頃だったかもしれません。それからこの場では語り尽くせないほどのなんやかんやがあって劇団再放送が旗揚げし、2回の公演を経てやっと、ほんとうにやっと!!!このもはや特級呪物と化したこの作品を駒場で上演できることを嬉しく思います。先日の初稽古では4年の間本の中にしかいなかったキャラクターたちが受肉し動いている姿を前におもわずグッと来てしまいました。今回の座組はほとんどが初めましての人々で構成されているので、これからこの作品が多くの人と触れ合い、どのように成長していくのかが楽しみです。

アップ用ワーク“ディベート”で日本の心を訴え続ける波木

月に対して思うこと

 ちょうど今期の文学の授業で「月」を不吉の表象としている某ゴシックSF作品を扱っているので、ここ最近は月の姿を思い浮かべるとどうしても心がざわついてしまいます。そういえば、昔好きだった古代エジプトを舞台にした作品でも月は不吉なものとして扱われていたなぁ…悪魔たちが住んでいるのは月だし狼男は満月の夜に凶暴化するし、もしかしてお月見や中秋の名月だとかいって能天気に愛でているのは日本だけなのでは?と思って調べてみると、一応そんなこともないようです。かぐや姫で有名な『竹取物語』では「月の表面を見るのは慎むべきこと」と記述されているとか。物語の最後、月から迎えが来たかぐや姫は愛した人々のことを置いてあんなに嫌がっていた月へと帰ってしまうし、確かに日本においても月はいいことばかりではないのかも。愛する人を奪い去ってしまった月…そうか…

 『月華世紀末狂騒曲』では「月」がどのような表象になっているのでしょうか。こんな視点から観劇してみても面白いかもしれません。

調小春 役 波木ぺん


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