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ずぼらと「華」の関係性 (苑田優)

 はじめまして。この度劇団再放送さんの公演に初めて出演させていただく、苑田優と申します。高橋とは去年の三月に共演したことがきっかけで知り合ったのですが、思えばあれからもう一年経ってしまう事に驚きを隠せません。2023年は役者として再スタートを切り、演劇に改めて深く関わった一年でした。今回の公演は私にとって今年度の締めくくりであり、また初めて一緒に演劇をやる人達と新たに関われるフレッシュな現場となっています。稽古を重ねる度に少しずつ人のつながりと劇が構築されていく感覚を通して、「演劇をやってるなぁ」としみじみ感じます。
 先日三度目の本稽古があったのですが、今回の舞台の稽古場はとても良い環境だと思いました。今回の座組には初めて一緒に舞台に立つ人が多く、そのうえで互いに気づいたことを言い合える環境になっており、もらえる刺激が多いです。演劇・演技は見せ物なので客観性が無いと成り立たないのは当然で、もちろんそれは自分の中で意識すべきものなんですが、新たな視点というものは他人からでしか得られないものなのでこうして色々な人と稽古できる状態はもう純粋に、とても楽しいです。こうした稽古を通して現れてくるキャラクターたちが生き生きとしているところを見せられればな、と思いながら今後も稽古に励んでいきます。


最近ガムと歯のピアスをつけ始めた苑田


かわいい

華に対して思う事

 私は動植物の世話が見れません。ずぼらな人間なもので、当然ですが花を育てたことも滅多にありません。あるとすれば小学生の時、ベランダで育てていた朝顔くらいでしょうか。そう考えると私は「華」というものに関わりの薄い人生を送って来たのだな、と感じます。
 そんな中で記憶を手繰り寄せてみると、「華」の記憶として実家でふと瓶に入れられた花が枯れているのを見たことを思い出します。当たり前ですが花だって植物で、生きているので、造花でなければ枯れます。一方で花屋に行けば瑞々しい花たちが独特の草と水の匂いをさせて、首をそろえて並んでいたりします。枯れた花がぽつんと置かれているのをたまたま一人で見た時、あの匂いをさせなくなったものの「死」をちょっとだけ感じました。
 などと真面目そうな話をしていますが、だからなのか最近では贈り物としての花は需要があるのかと考えます。というか花屋って具体的にどういうケースで収入得ているんでしょうか。法事が無ければ基本的に花と関わることの無い私にとって、日常の彩だとか、大切な人への贈り物みたいな意識はほとんど無いため、本当に想像がつきません。
 今回の舞台ではそんな私も「華」に関わります。どんな役を通して「華」と関わるのか、是非確かめてください。

青山健治 役 苑田優

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