江戸時代の日本人が時のロシア人に「ギリシア人」に見られたという一点の記述
ギリシア語とロシア語に興味を持って勉強している私の身にとって、看過できない記述が、司馬遼太郎氏の『ロシアについて』というエッセイに含まれています。
時は18世紀。
シベリア探検隊の司令官アトゥラソフが、日本からの漂着民に出会い、はじめて日本という国があることを知った時の証言として、
「エンド人(=江戸人)というこの民族は、ギリシア人にそっくりである」
という報告をしている点。
どこがどう「ギリシア人っぽい」と見られたのか大変に戸惑いますが、おそらくは海の民族としての生活習慣のことを言っているのか、あるいはロシア人の目からすると浅黒い肌に見えた江戸時代の日本人の風貌が、オリエントのギリシア人のイメージにどこかで重なったのか。
いずれにせよ、
ギリシア(ビザンチン )・ロシア・日本の三角関係を軸に世界史を見直したい私には、なんとも面白い一節
であり、かつまた、この時にアトゥラソフと出会った日本人の「伝兵衛」なる人物が、そのままサンクトペテルブルクへ招待され、
そこでロシア初の日本語学校を開いた
というエピソードも、世界史の唸りの中のひとつのドラマとして大変に興味深い。
十八世紀は、シベリアに探検隊を出していたロシアと、北方の島々に商船を出していた日本が、ときたま偶然に出会って情報交換をする、という、なんだか青々しい日露交流の時代でした。
その後、日露両国が激しい戦争の繰り返しになってしまうことを思うと、なおさら、この時代の青々しさが感慨深い。
司馬遼太郎氏のロシア観は、「現代のロシアは油断ならない隣国になってしまった」ことは現実として認めつつ、かつてのロマンに満ちた出会いの日々を幸福な交流史として思い出として大事にし、「いつかあの頃のような青々しい日露関係に戻りたい」という理想を捨てていない、そんな絶妙なバランス感覚があり、好感が持てます。
子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!