見出し画像

室町期において「悪党」は別に悪人ではないし現代にこそ「悪党」が必要だと思う(『太平記』を読む)

中学や高校の日本史の授業にも太字で出てくる悪党という言葉のややこしさについて。

「鎌倉後期から室町前期にかけては、日本各地で悪党と呼ばれる者たちが活躍し、社会や政治に大きな影響をもたらすようになった」なんて感じで記載されるので、(私のような)せっかち学生たちは大きな誤解を持ったまま大人になりがちです。「中世の日本って悪い奴らだらけだったんだよなあ」と。

違いました。

大人になって、かつ、先日の noteにも書いたように『太平記』に惚れ込むようになって、やっと正しい理解ができました。中世日本でいう「悪党」というのは、今の日本語の「悪人」ではないです。

というのも昔は「悪」というコトバは、「力強い」とか「たくましい」とかいったポジティブな意味も持っていたので、中世でいう「悪党」もそういう意味で捉えないといけない。

既存の公家社会とか鎌倉幕府体制とかのヒエラルキーと無縁の、私兵団ないし自警団的な連中とでもいったところでしょうか。まあ、その中にはたしかに悪い奴らもいたでしょうが、後醍醐天皇に召喚されて颯爽と現れる楠木正成の軍団なんかも、あれも「悪党」のひとつです。楠木一派は既成の階級制度に収まらない傭兵的な連中というわけで、悪人というよりは英雄という感じですね。私の勝手な印象ではチェ・ゲバラなんかに似てるかも。

と、

と。別に似てないですかね、、?

今風にいえば、既成の日本の企業常識が通じない野武士的な起業人なんかが中世の「悪党」に近いかもしれません。まあ中には「悪人」もいるでしょうけど、常識に囚われない自由な発想で新しいことをやる先進的な人たちもいるし、大企業顔負けの社会貢献をする忠義の集団(楠木正成?!)も加わっていたりする。

とにかく、新しいことをやらかしてくれそうなエネルギーある人たち

で、『太平記』を読んでの私の感想。

おなじ「武士道」といっても、今のような先の見えない時代には、江戸時代のサムライのような折り目正しい時代の生き様よりも、室町時代の「悪党」サムライたちの無茶な生き方の方からこそ、学べることが多々あるのでは、と思うのでした。

ともかく、伝統的な日本人というのは儒教道徳に縛られた人たちだけでなく、室町や戦国に野放図に生きたゲリラな日本人伝統もあるんだぞ!とは今の世の中でこそ、まさに、言いたい!

というわけで、私はまた粛々と、英語版の太平記を読み進めて参ります

画像1

よくぞ英語に訳してくれたなあ、とつくづく感心しつつ、、!

子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!