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実話怪談とはつまりプルーストである(※と、私は思う)

完全に「私はそう捉えている」というだけの話なのですが、

「実話怪談とは、本当にあった話を取材したものに絞られるのですか?それとも創作を入れてもよいのですか?」という問題について、

私はこう思っています。

たとえ見間違いの可能性があるものであっても、ある人の心の中で、あるいは、ある共同体の中で、「あれは不思議な体験だったなあ」と記憶に残り続けて生きているものは実話怪談だと思う

本当にあったかどうかより、その人(複数の場合もあり)の記憶の中で「本当にあったこと」となって生きているか。

つまりその人の無意識の世界の中で生き続けている体験かどうか。

だから、そこに創作を入れると、それは実話怪談ではなくなる。

でも、同じ怪談が、本人に聞いた時期によって、微妙に細部が変わっていくこと、これはアリだと思う。

おおげさに言えば、プルースト効果と同じで、「客観的な過去の事実」よりも、「その人の中で、ある思い出が、語り直されるたびにどう変化しているか」のほうが多くを語ることがある。

ただしそれも、

本人が意図的にハナシをおもしろくしようと記憶を改変していると、たちまち面白くない。

本人がまったくの無意識のうちに不思議体験がだんだん「自己成長していく」、これはおもしろい。

決め手は、その人(ないしその共同体)の生活の中で、無意志的に一緒に進化しているハナシとして、生きているかどうか。

プルースト的な見方。純粋な過去などはなく、過去はいつも現在に「再発見」され続けることで、無限に生き続ける。そしてそれを言語表現でたえず「語り直す」ことが重要なこと、と思うのです。



子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!