どうしてギリシア語の勉強が「トルコ交流」と「ロシア文学」につながるのか?
私の過去記事を読み直していると、
もしかしたら、説明をしないと伝わりにくいかもしれない
点があることに気づきました。すなわち、
どうして「古代ギリシア語を勉強している」話がトルコとの国際交流となり、最近はロシア文学の話題になっているのか?
私が「あれこれいろんなことに手を出しがちな人」というだけとも、いえますがw、しかし説明できることでもあります。
実はこれ、
あの有名な古代ギリシア文明の「後継者」は現代ではどの国なのか?(※というのも現代のギリシアはいっちゃなんだがもはや小国だし、、、)
という問題に関わります。
普通の世界史の本では、こう説明されています。
古代ギリシア文明は、古代ローマ帝国へと引き継がれ、そこからイタリア・フランス・ドイツといった西欧精神に引き継がれていった
ところがギリシア語を勉強していくと、もうひとつの重大な流れがあることに気づく
古代ギリシア文明は古代ローマ帝国から東ローマ帝国に継承され、東方キリスト教(つまりギリシア正教)を通じてユーラシア方面へ継承された
という歴史観。
すくなくとも「ギリシア語」を公用語として引き継いだのは東ローマ帝国なので、このほうが「言語」から見ると正しい後継者ルートともいえる。
そしてこのように見ると、
・どうしてトルコが東ローマ帝国を滅ぼした後、その首都コンスタンチノープル(いまのイスタンブール)に遷都し、そこを拠点としたのか
・どうしてロシア帝国が、「東ローマ帝国がトルコに滅ぼされた」と見るや、ギリシア正教の継承者としてガンガン自己主張を始めたのか(日本で不正確ながら「ロシア正教」と呼ばれている、神田のニコライ堂とかの流れになる)
の解釈も広がります。
古代ギリシアの遺産は、トルコに吸収されたのか?それともロシアに吸収されたのか?こう考え始めると世界地図の色分けがかなり変わり、
西欧中心史観とはかなり違う「アジアにおける古代ギリシア精神の伝播史」という着眼が見えてくる
ただしこんな見方をする私は少数派であることは否めません。。。「トルコやロシアがギリシア文明の後継だと!バカなことを言うな!ギリシア精神は西欧の発展を支えたものだ!」と激怒する人すらいるかもしれない。
よってこれは「ギリシア語という言語に埋没していると、そんなふうに世界史が見えてくる」という、個人の所感として受け止めてくれれば、それでよし。
ただし、ギリシア語から始まって、
ギリシア語を知るにはトルコ語をやる必要があると気づき、
さらにはロシア語も視野に入れる必要があると気づいた、
そんな「世界の見方」が私の人生では起こったのだということは、報告したいと思います。
まとめると
「西欧中心史観」だけでは見落としてしまうオモシロいことが、世界史にはたくさんあるのだ、と主張しておきたい!
ということなのです。
子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!