ひとりでもいけ
夜、外からネコの鳴き声が聞こえてきて、それが数時間ほど続いたために、あたりの様子を見に行った。
家の近くに側溝があり、コンクリ製の蓋の下から声がする。どうやら閉じ込められてしまったらしいのだけど、姿が見えないうえに通行人の気配があると鳴くのをやめてしまうので、居場所をつきとめるのには難儀した。
これが4日ほど前の出来事で、それからは家で静かにしているとたびたび声が聞こえる、というのがこのところ続いていた。
ところが今日の午後、スーパーでの買い物から帰ってくると、中学生くらいの子たち4、5人が側溝の蓋を開けて、身を屈めて中に入りネコを救出しようとしているところだった。みんな制服を着ていたから、学校帰りにネコの声に気づいて「これは!」となったのかもしれない。
そうかそうかと思いながら家に入ってしばらく経つと、外から盛り上がる声が聞こえてきて、ネコが助かったことを知った。
4日前、あの声に気付いた夜、私も側溝の蓋を開けた。ネコがいるらしき地点を覆うコンクリ製の蓋を持ち上げられたら話は早かったのだけど、それはやっぱり不可能で、数メートル離れた場所に網目状の金属の蓋が掛かっていたからそちらを開けた。
ライトで照らしながら中を覗き込むと、予想していた辺りに子ネコが1匹いるのだった。
こちらに寄ってくるでもなければ、逃げるでもなく、じっとその場に座ったまま私の方を見ていた。その地点には薄くではあるものの水溜りがあって、この季節に、しかも夜中にわざわざそんな場所に好きで座っているとも思えず、もしかしたら怪我や衰弱で動くに動けないような状態なのかもしれない。
周囲に仲間のような助けてくれる存在は見当たらず、首輪も無いから飼われている訳でもなさそうだった。
どうしたものかとしばらくネコと見つめ合った。缶詰とかチュールとかそういうものでこちらに誘えばいいのだろうか。
そうしていると、遠くの方から自転車を漕いでいるおばさんが近付いてきて、私に最接近したときにこちらを見おろしながら「なに?」と何故か非難するような声色で問うてきた。どういう事態なのだ、と。そこで私も顔を上げて「ネコが出られなくなってるみたいで……」と返事をすると、おばさんは完全に無視して通り過ぎていった。
このとき、おばさんが自転車を止めて「それは大変だ」と協力してくれるなんて、なにもそこまでの期待はしていなかったけれど、ひとりで解決するには悩ましい状況を前に、他者と最低限の応答さえ成立しないことがこうもツラいのかと、なんだかダメージを受けてしまったのだった。
その場でちょっとボーッとしてしまって、やがて私は蓋を開けたまま家に戻った。
それから数時間経って、寝る前になってまた外に出ると、ネコがまだ側溝にいると知っていながら、蓋を閉めた。開けっぱなしにしておきたいけどこれだと夜中に事故が起こるかもしれないから、みたいな、そういうことを考えていた。
だから、中学生たちがネコを助け出したとき、その声を聞きながら自分の情けなさに打ちのめされた。自分がひどくみっともなく感じられて涙が出た。
なんであの夜、なにもしなかったのか。
ネコ助けろよ。ネコに応答しろよ。いい大人なのだから、ひとりでもやれよ。
中学生たちを見たとき、そうかそうか、なんて思った。偉そうに感心してんなよ。私はひとりであってもやるべきだった。
いつか、何に対しても応答できなくなってからでは遅いのだ。
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