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笠置町地域おこし協力隊として

 2019年1月7日より京都府・笠置町の地域おこし協力隊として任命された。写真とクライミングという僕がいま持っているスキルを使って町をより良い方向へ。それが僕の使命であり、この町で生きる意味だ。

 昨日は挨拶回りをしながら笠置町をぐるりと一周した。笠置町は「南部区」「北部区」「西部区」「東部区」「飛鳥路区」「切山区」の6つの区に分かれている。ひとつひとつの区は、小さな町の中に存在するとは思えないほどに個性豊かで、隣り合った区とはがらりと様子を変える。

 過ぎていく新鮮な景色の中、素敵な出会いがあった。
「あの人、97歳なんだよーー」
 飛鳥路区を回っていたときのこと。町の案内をしてくれていた方が外を歩く元気そうなおじいさんを指してそう言った。僕はその背筋のピンと伸びた姿を見て驚きを隠せなかった。会いたいーー素直にそう思った。すぐに車を止めてもらい、挨拶に伺った。そこで、すぐにもうひとつの驚きを知ることになる。なんとその方は「100歳」だったのだ。

 話していてすぐに気付くことになる。なんと去年の7月には100歳になり、京都府から表彰されたとのこと。「100歳!」これには素直に驚いた。要は最初の紹介は勘違いだったのだ。100年の歴史を生きた人を目の当たりにして、こんな素敵な出会いがあるなんて、と僕の心は躍った。そんな僕の気持ちが通じたのか、それとも顔に書いてあったのかーー「写真家です」と伝えると、写真を撮ってほしいと言ってもらえた。素直に嬉しかった。
 写真を撮る側、撮られる側。お互いの心が向かい合った瞬間というのは、見えない”なにか”がビシビシと伝わってくる。ファインダー越しに見えるその佇まいに僕は背筋が伸びた。「これから”あなた”を写します」と、祈るような優しい気持ちでシャッターを切る。嘘もハッタリも通じない。そんな真っ直ぐな瞳がそこにあった。

 その人は蘭を育てることが好きだという。嬉々として語るその表情はまるで子供のように無邪気な笑顔そのもの。そして、楽しそうに語るその顔からは想像もできないような話も聞かせてくれた。

「青春時代は戦争だった」

 衝撃だった。そういう話は学生時代に嫌というほど聞いてきたつもりだったし、それなりに見聞も広めてきた。しかし、一度でも向き合った人の言葉は胸に刺さる。そして心に刺さる。これから僕に何ができるんだろうか。僕は写真家として向き合った人たちに何をしてあげられるんだろう。この世界にいったい何を残せるのだろう。
 いまはまだ答えは出なくても、自分がやりたいと思うことや成し遂げたい夢の先に誰かのしあわせを思う気持ちや平和を祈る気持ちを忘れなければいつか、きっとどこかに必ず響くし、そっと誰かが次の世代に繋いでくれるはず。そして、"ひと"が”ひと”を思いやる世界がこれからのスタンダードになるように今日も祈ってカメラを手に取ろう。

 戦争で失った右手が雄弁に語っていた。

 シバタタツヤ

 

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