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 今日は家族で地元の神社に初詣にいってきた。その神社に行くのは記憶の限り小学生以来(母は高校生くらいのときに行ったと言っている)で、なんだか少し心が浮き立つような懐かしい気持ちで午前中の少し冷たい空気の中を家族三人で並んで歩いた。当時の通学路を通ったり、〇〇くんの家を見てみたりしながら15分程度の道を楽しんだ。
 その神社は小さな町であればどこにでもあるような規模のものだ。到着して見渡してみると僕の記憶のなかのそれと大差はなく、小学生の時の記憶が小さな断片のように静かに甦った。たっぷり張った水の中に水彩絵の具を少しずつ垂らしていくみたいに、色の濃度がまちまちで何色かとかは判然としないけれどなんだかとっても気持ちよかった。心のストレッチみたいだ。

 初詣に来ている人のほとんどがきっと信仰などなくても、こうやって当たり前のように三が日に神社に来て、神様にお祈りする。きっと元々のカタチはこうじゃなかったんだろうし、昔の人が見たら卒倒するような変化を遂げているのだとしても、本質の部分が変化してしまっているのだとしても、ひとつの文化として根付き繋がり続けていることに僕は感心した。

 変わり続けることを恐れずに、変化を受け入れる。

 人生は変化の連続だ。出会いや別れ、進歩や衰退、毎日めまぐるしく変わり続けている。それでも変わらない何かはきっとあるし、変わらない何かなんてない。そんなパラドックスを抱えながら、きっと来年も同じように初詣に来たりなんかしているんだろう。

 今年のおみくじは”末吉”だった。なんとも言えないなあ。

 シバタタツヤ


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