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“フリーアドレスって自由と不自由のちょうどいいところ”というおはなし

10月に入って、大暴れしていた気温はすっかり落ち着き、とても過ごしやすい季節です。

ボクは秋が大好きです。寒い冬に向かって空気がキリッと締まっていくような、冷たい空気が少し寂しい気持ちを呼び込んできたりするけれど、そのメランコリックな屈伸が“やるぞ!”っていう感情の”おいかぜ”になったりもするんです。静かに燃えるというか。

秋から冬の季節の移ろいが好きなのは昔からなのですが、たぶんこの複雑な感情はおいかぜの1年のはじまりが9月だからかもしれません。いまこの文章を書きながらそんなことに気付きました。

今期もとてもたくさんのお仕事の依頼をいただいています。全てお手伝いできたらいいなと思うけれど、ボクたちには当然かぎりがあって、お断りするような場面もたくさんあります。ボクたちがその人や会社の本当の意味での”おいかぜ”になれないのなら、お手伝いはするべきではないし・したくない。そんな秋です。

いまボクたちおいかぜは事務所のレイアウト変更をしています。”こいつ随分前からそんなこと言ってないか?”って思われているかもしれません。そうです。けっこう時間がかかっています。新型コロナウィルス感染拡大の影響でワークチェアの納品が遅れていたり、ミクロコスモスの飯坂くんと一緒につくっているワークデスクのデザインと制作が楽しすぎたり、せっかくレイアウト変更するんだからあれもこれもって感じで欲がでたり、まあいろんな理由はあるのですが。

レイアウト変更の期間中、ボクはずっと事務所で仕事をしています。大改装をするわけではないので、少しずつ変わっていく事務所の様子を眺めながら、ボクの身体性を馴染ませていっています。ハードが変わっていくことでそこに当てはまるべきソフト、理想のソフトを思い浮かべたときのあるべきハードの姿、具体と抽象を行ったり来たりするように、会社の設備やモノと会社の制度や仕組みを行ったり来たりしているのです。

今回のレイアウト変更は、事務所が手狭になったこと、来年の4月に3人の新入社員が入ってきたらいよいよ席がないなぁと、ようやくボクが決心したところが起点だったりします。

先日OOdesk(ミクロコスモス命名、oikaze office deskの略)が設置され、まだ何もモノが置かれていない景色を眺めていたとき“あそこは壁が目の前にあって落ち着く”とか“この窓際の席は気持ちいいなぁ”とか“プロジェクト単位で固まって座ったら仕事捗りそうだな”って、ボクの眼前に風景やシーンが浮かんできました。

実はこのレイアウト変更期間中は事務所勤務のみんなには自宅リモートワークをお願いしていて、期間明けにはリモートワーク制度の拡充することが決まっています。 “リモートワークなし“から“フルリモートワーク“までの5段階のグラデーションでの選択性。フルリモートワークは会社指示を伴わないと選べないようにしているので、ほとんどの人はゆるやかなリモートワークをすることになります。

そして、おいかぜには残業する人がいない、なんてことを言うつもりはないけれど、日をまたぐことなんて数えるくらいしかないし、定時に帰れることが多い会社です。

何が言いたいのかというと、会社のデスクに座ってる時間ってたぶん月の半分、もしくは半分以下。しかもボクはおいかぜの働き方をもっと健全にしていきたいから、1日の中での会社にいる時間も減っていくと思っています。そうなったとき、会社に個人の固定席って必要ないなって思いました。そうですフリーアドレス。ボクが目指すこれからの働き方を考えたとき、ボクがモノが何も置いていない事務所で思い浮かべたシーンと一致したわけです。

固定席が無いことで不自由を感じることもあるかもしれないけれど、それはたぶん思い込みだと思っています。だってリモートワークなんてできないって思っていた人たちがリモートワークをしていますよね?“当たり前をぶっ潰せ!”みたいな強いメッセージを言うつもりはないけれど、いま目の前にある状況を疑ってみること、視点を変えてみることは、自由と不自由のちょうどいいところ、つまり真の中庸にたどり着く第一歩だと思っています。それが今回のボクにとってはリモートワークとフリーアドレスの組み合わせだった、ということなのですが。

東京あたりでは事務所を引き払ってフルリモートワークに切り替える企業が出てきていると聞きます。考え方としては理解できるけれど、ボクは場所が持つ価値とか意味を信じています。リアルとバーチャルに囚われず本当の意味で働きやすい環境を提供することこそが、会社が会社である・組織が組織である価値や意味だと思っています。

ボクやっている“はたらくをデザインする”というのはとても広義です。ボクの行動そのもの・全てが“はたらくをデザインする”ことなのかもしれない。何かをやれば終わりなんていうことはなくて、何かを起点に何かに繋がり、その繋がりすら起点になる、そんな取り組みです。

新しいデスクとチェアで仕事をすることが今から楽しみで仕方がありません。そんな手下・足下のワクワクを産み出すことだって“はたらくをデザインする”ことなんですよね。

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