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庭師と医者の違い2

SBSK自然分娩推進協会では、ご希望の方にメルマガを配信しています。
今回は、メルマガ14号(2021.7.30)の配信内容です。

庭師を助産婦に、医者を産科医に置きかえるとどうなるでしょうか?
※助産婦と助産師は意図的に表現しました。
助産婦は分娩を順調に進行させるため産婦の基本的要求に従います。

基本的要求は、
家庭的で女性的な環境です。なるべく意識レベルをあげないで済むよう、助産婦は優しく信頼関係を大切にします。環境は、やや暗く静かで暖かい部屋で自由な体位。分娩中はなるべく場所の移動がなく、安心で、羞恥心や不快感や疼痛にさらされないこと
で、分娩の自然な進行を見守ります。ちょうど「幼児がお母さんに寄り添ってもらってまどろんでいる」ような状態、あるいは子守唄を歌ってもらっているような状況を想定するとよいでしょう。助産婦は分娩を知る人であると同時に母親のような安心な存在なのです。
産婦の基本的な要求をみたし、余計なことをしないことで、自然な分娩は進行していきます。

ところが病院は助産師が母親の様に振る舞える場ではありません(これは乳幼児が入院する小児科病棟のナースが母親代わりでないのと同じです)。母親のような優しく安心な寄り添いがない上に医師がお産の管理者として登場します。医者は原因を究明して病気を治すことを主務としますから、何か異常はないか?と神経を配ります。病気を持つ産婦さんにとっては頼もしいかも知れませんが、正常経過の産婦には逆効果です。

よって医者は存在自体が産婦に意識の覚醒や緊張を与えるので、アドレナリンを分泌させ、分娩を長引かせる要因となります。
正常と思われる産婦についても、安全を守るためという理由で産婦の基本的要求は制限されます。

そのことは次のような対応で明らかです。

「車や救急車での来院、監視装置によるモニター、頻回の内診、ブドウ糖点滴、オキシトシン点滴、誘発、会陰切開、鉗子・吸引分娩、クリステル氏圧出法、帝王切開」

これらの処置項目は、往々にしてドミノ倒しの様に一連の作業として流れていきます。病院は安心してまどろむ場所ではなく、産婦の基本的要求とは相容れないものばかりです。その結果益々自然な分娩の進行は妨げられることになります。

基本的要求が満たされないことが原因で、いわばその自己防衛反応の結果として分娩が止まっているのに、分娩が止まっていることを原因と考えて、真の原因は見ないで、分娩をすすめるための介入が行われます。

論理の逆転と言うか健康哲学の乏しさというべきでしょう。

もちろん、早くから介入が必要なケースはありますから、解熱剤や降圧剤の投与と同じで、「原因か結果か」は慎重に判断を要する問題です。

前号で、解熱剤や下痢止め薬が逆に自己防衛反応を抑えてしまうデメリットを書きましたが、ブドウ糖点滴だけみても副作用としての低ナトリウム→児の多呼吸、児のインスリン過多よる生後の低血糖、新生児黄疸、ブドウ糖による痛みの感受性の増強、点滴針刺入痛によるアドレナリンの分泌と陣痛の抑制、高濃度ブドウ糖によるプロスタグランディン1の合成阻害と陣痛抑制、などが起こり得ます。

さらに合成オキシトシンの作用では、強制的な陣痛による痛みの感覚の増強、これに対する麻酔薬の追加、などとなれば、産婦の基本的要求に反して難産へまっしぐらのオン・パレードとなります。

助産婦は庭師の健康学が感情的にも理屈の上でも納得出来ると思いますが、病院助産師と産科医にも庭師の健康学の視点を持つ人がもっと増えてほしいと思います。

またインフォームド・コンセントの前に、本当の情報を産婦さんにインフォームしてあげる必要があります。

なお、「妊婦はしばしば水だけを欲しがる」との表現があるそうです。「エネルギー補給のためにジュースや糖分を」という指導はやめたほうが良さそうです。


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