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計画的読書のススメ
とある気付きで本の読み方を変えた。この辺りの理由は長くなるので割愛しつつ暇なときにでも書くかもしれない。読書の方法は同じである。これに関しても過去こちらの記事にまとめているので週末暇を持て余してる方は一読いただけるといいかもしれない。
乱読→計画的読書への変更
乱読も乱読、あれやこれやを貪るように読んでいた。運良くセレンディピティがおきて、いい情報と情報のマッチングがされるときもあるが、100読んで2,3の気付き、このショットガン方式は97,98あたりを無駄にしているなと本の山を見て思った。インプットした知識はいつか使えるかもしれないが、無計画な乱読は、今後やりたいこととそれに残された時間を考えていったときに「あ、間に合わないな」と気が付いた。では、どういう読書が可能かを考えたときにインプットしなければいけない情報ごとに本を積読して見た。そこで気付いたのはいくつかの山があるということ。本の山を見て、読み始める前にじっくり考えた。これって、すごいわかりやすいかもって。
なんのための読書かを深堀する
標高が高い山、標高が低い山、中くらいの山と合計で5つの本の山が目の前にあった。それぞれ僕の場合は、以下の感じ。
組織理論関連の山
新しい会社ってどんな形態なんだろうを模索しているから。
行動心理学関連の山
プランニングする上で欠かせないジャンルにつき、常に何か読んでる。
生き延びるための山
デザインからアート、社会変動含めた未来予測を含めた書籍群。
明日必要な知識の山
直近のプロジェクトやパートナー企業が抱える課題周辺に関する書籍群。
空想の山
思いついっちゃったアイデアや個人プロジェクトで実現したいことに関する参考書籍の山。
この積み上げられた山は、下から上に向けて難易度が簡単なものから、専門的なものへと積み重なっている。それを下から読んでいく。
山にしただけで、この本がなんのために読んでいるのかが明確になることに気づいた。これらの山脈を見て、ふと思ったこの山系は僕のどんな未来を形作るのか。そこを明確にするともっと計画的な読書が実現する。
これらの山のキーワードをつなげていくとこんなセンテンスができた。
従来の組織とは異なる形態のプランニングに特化した企業が、これから予想される社会変動に対してマスの動向ではなく個の動向の連なりから課題を解決していく。
ってことか、あと仕事半分、空想から生まれたプロジェクト半分の二足のわらじで動いてる状態になりたいのか。ってことがわかった気がしている。
今何を読んでるかまで列挙するのは面倒だし伏せるが、本の種類的には都市やコミュニティが今後抱えていく課題に対する情報を集めているんだなと俯瞰してみると思うし、それらのヒントは、既存のビジネスではなく新しい発想の元解法を導き出せるんじゃないかと思っているのだなと自分で自分のことを観察する。
山と山に橋をかけろ!
今、まさに必要としている本が山脈をなしているのを俯瞰してみると、単独のままインプットされる知識にはなんの意味もないことが想像できた。
教科書が書いてることを覚えてテストで良い点をとるだけの知識にしかならない。知識は体系化して、接続して、自分なりの落とし込みができたときに知恵となる。ただ読むことだけが目的ではなく、得た知識をしっかりと使うこと。
山と山の間に何かつなげていける知識が必要だと思った。
では何が必要か(ここに関しては個人でバラバラだ)と考えたときに、これらの山脈の本を読んでいると共通して出てきているワードがあった。
それが「文化人類学」。この分野が僕の知の山脈を繋げるものなのかもしれない。今、文化人類学のとくに理論ではなく、リサーチ方法に関して記載された文献を探している。過去いくつか読んだ本も引っ張り出して、共通するヒントを掘り起こしている。
知のセレンディピティを計画的に自己誘発させる
これまで手放しで情報のマッチングと気づきが落ちてくるのを待っていたが、もう35歳である。40歳まで残り5年。この5年のあいだに学ぶべきものにしっかりとフォーカスを当てながら、計画的にセレンディピティを起こしていく。
本を読みながら、常にタブレットにメモを手書きでメモして情報の咀嚼をしている。自分で図解してバカな自分でもわかるように整理しながら読んでいる。これまでの乱読はウロウロと情報の平原を歩いているようなものだった。
今は確実に山頂を目指して学んでいる感触がある。そして、読めば読むほど、次学ぶべき風景が良い視野で見えてくる。
なんのための読書か
もちろん娯楽のための小説とかはこんな必要はない。あくまで知識武装の先の他にないアウトプットを目指すためだ。
そもそもに立ち返ることが多い仕事なので、そもそもなんで本を読むのかあたりから振り返ってみると、ただ求める情報のジャンルを読めば良いじゃんとは決してならないことに気づく。その情報はなんのために使うのか、読んで満足してしまうのが一番もったいない。
以前、義務教育について書いた日記がある。教育は大事だけど一番大事なところが抜けているって指摘をした。この学習はなんのための学習なのかを教える時間があまりに少ないって。義務だから学ぶんじゃなくて、あなたにとってこの学びが○○になるから、今学ぶんです。そういうプロセスが必ず必要だと思っている。
そういう意味でも、家に積まれた積読は、「読まなければいけない本の山」ではなく、ある目的のために積まれている山であることを明確に示すことで、毎日の読書の時間が有意義なものへと変わる。読書することの意味を再設定、再認識させるだけのことではあるが、そこから見える俯瞰した知欲を飼い慣らし計画的に学びを築くことは、とても大切だ。
あなたの目の前にある本は、なんのための読書か。
その先に、あなたはどんな風景を見たいのか。
読む手間を考えることで、読む行為が劇的に変わる。
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いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。