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個人的な新しいお金の使い方

自分へのご褒美ってあるじゃないですか。
仕事がんばったとか、いろいろ理由つけて買いたいやつ買うやつ。
2月も終わりふと仕事も落ち着き、家のリビングでネコ撫でながらご褒美を考えていたんです。

しかし、考えど考えど何もない。36歳にもなると物欲みたいなものは失われていくのかもしれない。で、子供たちがお年玉で電子ピアノを買っていたことを思い出したんです。なんかいいお金の使い方だなと昔日記に書いたことがあるやつです。


で、考えた。自分にとって良いお金の使い方はなんだろうと。
そうだ「ヤンニョムケジャン」だ!となったんですね。
知ってます?ヤンニョムケジャン。存在は知っていて一度食べてみたいなと思ってた韓国料理。こういうのです。

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京都で食べれる店ないかな?と探してみたんですが見つからずAmazonで発見。1クリックで購入だよね。明日届くんだけどさ。

で、なんかこのお金の使い方良いかもなと思った。
食べたことのないシリーズの料理を食べてるために使うお金って、なんか新鮮で確実に新しい。今までになかった感覚になるのかもしれない。もしかしたら凄い苦手かもしれない。そのわからないを買ってる感じがある。

もしこれが超美味しかったら友達とかにヤンニョムケジャンをオススメできるかもしれないし、好きになりすぎて韓国に行くかもしれない。なんというか自分の知らないものがこのヤンニョムケジャンの選択には確実にあるなと思ったのです。

昔、この店で一番キツイ酒をくれ!といって「アブサン」を飲んだ。
数多の芸術家が酔いしれた芸術家のための酒だということを後から知って、嗜み方やそれ以降の楽しくもハードな夜が生まれている。もしあの時酔っぱらった勢いで「この店で一番キツイ酒をくれ!」と言わなかったら起きなかった奇跡みたいな楽しい夜も、もしかしたら今ほど仲良くなってなかった人たちもいるのかもしれないと思うと、その最初の未知の一杯の価値の大きさたるや計り知れない。

ヤンニョムケジャンが美味しいか美味しくないかは分からないが、もはやその選択に意味があったと思っている。物欲なき今、こういうお金の使い方で人生を楽しむのが最高なんじゃないかとすら思っている。気になっていたまったく知らない店にふらっと入ったり、名前だけでは判別できない世界の料理を食べたり。

人は自然と知ってるものだけを選ぶようになり、よくてもレビューを見て何かを決める。本当、パッと湧き出た欲望と好奇心に身を委ねる購買はお金以上の価値があるんじゃないかとやっと気づいた。

ここまでいうてヤンニョムケジャン美味しくなかったらごめんな。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。