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コミュニティというドッグランみたいな偽物

石川、富山、与謝野、久美浜、渋谷、滋賀など移動の日々。
ビデオ会議は車中か新幹線からが半分くらいを占めている。
昨日、無事京都に戻り、いきつけの飲み屋の大将に「移動しまくってますね」の言葉に苦笑い。これまだいい方やねんと内心思う。

コロナ禍を経て、また人々の移動が始まっている。
京都市内はインバウンドでごったがえし、まもなくコロナ以前のオーバーツーリズムがさまざまな問題を表出させる。
都心関わらず日本全国でコロナ禍の負債を回収するように宿泊費が高騰する。どうせ松倉のホテルなんてのは寝るだけのものだ。さまざまな地方で地元の奴らと酒を飲み、記憶もギリギリで宿に着く。極論布団と風呂さえあれば事足りる。

ふらりと拠点のコンコンに戻れば共用部で誰かが飲んでいる。
タレルで誰かが飲んでいる。この風景に、ただいまと言わずにいられない安堵がある。みんなでここ作ってよかったな。みんなの個のホーム感がここにはある。

さまざまな地方都市に足を運ぶと、そこにはコンコンのような渦を生む場所がないことに気がつく。もしかすると足元のこれはとても貴重な町を動かす人を動かす人を繋げる装置なのかもしれないと思ったのが数年前。
人には場所が必要だ。家、会社、そして、もう一つの場所。スターバックスのサードプレイスではなくゼロプレイス的な個に立ち帰り、ため息でも安堵の一息でも吐ける場所。

数年前、そんなことを思ってる時に福井県高浜町の仕事で関わりが生まれる。町に足を運ぶと若者たちの息にしにくさを感じる。漁具倉庫で飲み、彼らに「未来の最小単位は、明日。だから、みんなは今から高浜明日研究所だ!」と目的と名前をプレゼントした。あれが僕の近年最もいい仕事な気もしている。フィーは大量の酒とお魚。彼らの楽しそうな背中。
この活動を応援して、今はもう使われなくなった飲み屋を基地として使わせていただいたり、そこがコンコン的なゼロプレイスのような空気を帯びている。福井に行くと僕らは大体あそこで泊まる。

このような子供の頃の秘密基地のような場所が日本に少なすぎる。
大移動の中でどの町に行っても痛感する。中規模都市では胡散臭いコミュニティというキーワードを掲げられたドッグランみたいな偽物が溢れているし、コミュニティなんて言葉をコンコンはあまり使わない。そんな言葉で括られるほど簡単ではないし、浅くないことをみんな知っている。僕らの自治会を見学にきた何人ものコミュニティを語る人たちは、自分たちのやっていることの浅さを感じたと言葉を残して帰る。なぜか僕だけに。笑

コミュニティなんて言葉の前に最も簡単な言葉がある。繋がりだ。
つながるといいことだけじゃない、ぶつかり合う時もあるし、なんでもない日に深酒して翌日全員で後悔することもある。つながることで向き合う責任が発生する。これになかなか現代の人は慣れていない。人ってな、面倒くさくて愛らしいんだ。この例えがいいのかわからないけれど、ペットを飼う責任に近い。(多分失礼)ちゃんと向き合う覚悟がいる。これを失念して、コミュニティというカタカナの軽い言葉に人がより、すぐに離れていく。隣の家に誰が住んでるかも知らない時代に深い関わりはただの負荷と感じることは容易に想像がつく。簡単じゃないのだ。

大都市、中規模都市では、その繋がりの責任から外れても別のまた何かがある。なので転々と自分のストレスがない場所に逃げることもできる。しかし、その連鎖は深いつながりに至ることは稀だと思う。自分の形にちょうどいい場所なんていう都合のいい場所はない。相手の形をしり、そこにフィットする形状を変えていくような行為が必要だ。そこまでしたくない人は都会に住み続けるのがいいのだろうと思う。

そこでローカル都市に目を向けると隣の人どころから町の人の大半を知っている。形を変えてフィットする努力を怠るとそこで生きていくことが難しい状態に陥る。都会の感覚でローカル都市でコミュニティなんぞかかげようものなら破滅が先にあることは誰だって想像がつくだろうとおもう。
しかし、それでも言葉が先走りして、コワーキングも増えるし、ワーケション施設もできるしで地方は今めちゃくちゃだ。本質を欠いたフレームワークで町なんてよくすることなんてできないことをそろそろ先人たちの負債や背中を見て学ばなければいけない時代に同世代たちが同じ過ちを繰り返している。

先週も昨日も、人口が減り続ける町の物件を見ていた。
それぞれの街にどのようなつながりを生み出せば、輝き出すのか。
町の質感、空気、言葉を聞いて、想像する。
僕らの仕事は向き合うことを避けては通れない。
それ以前に生きていくことは誰かと向き合うことである。
人も、課題も、町も、未来も、必ず僕らの生きるに隣接する重要なファクターだ。アホほど忙しくてもそこに真摯に向き合うことを忘れてはいけない。
なんとなく、その行為は、向き合う対象以上に自分をいつか救ってくれると感じている。

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