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アイデアはキャッチボール

僕はアイデアを作ってる仕事だけれど、自分のアイデアが心の底から最高だと思って提案してることは実は全然ない。仕事のくせに何を言っているのかと思われるかもしれないが、特に不安があるとか自信がないとかではなく、このアイデアを素晴らしいと言われることもあれば、わからないという時もある。

普通に生きている中で他の人と比べて圧倒的に思いついたことを誰かに言う仕事なので、僕のアイデアの奥底にあるのは「こんなことを思いついたんですがどう思います?」と言う問いかけに近い。

いつもワークショップで見せるスライドに可愛い女性たちを6名ほど並べているものがある。かっこいい男性版のスライドも作らないとなと思ったまますごい年月がすぎているが、そこのスライドにこう書かれている。

「あなたの好きなタイプは誰ですか?」

僕はアイデアをこう言うものと近いと思っている。
好みのタイプは人それぞれ。あ、私と同じですね、わかります。から、おーあなたはそのタイプですか、なるほどなるほど!と千差万別である。アイデアもこれと同じであって「あなたは私と好みのタイプが違うから仲良くなれない」なんてことはなくて、「それってどういうところが好きなんですか?」と双方歩み寄り探り合う。

アイデアは一人のものじゃないという信念に近いものがあって、お客さんがいればアイデアをボールにキャッチボールをするようにやりとりをする。今日は僕がボールを投げた。ちょっと早めに投げ合いをしておきたい内容だった。

ここはすごいわかる!いいと思う。でも、ここは以前にやって実はうまくいかなかった。そうやってお互いの経験と感覚を編み込んで行くと新しい面が出来る。その面が見たことないキレイで独自の発色をする面が生まれたら大成功だと思っている。そこには僕と言う存在と一緒に掛け合いをしたお客さんという双方の糸と思考が編み込まれた独自の面だから。

僕は僕を優れていると思ったこともなく、アイデアで色々結果を残してきたけれど、それは作るプロセスの中で無数の仲間の糸が交わり、そこにしかない面を見せれたからだと言い切っている。アイデアは常に万人が持つ想像する力そのものだし、それで優劣もないと信じている。

ただただこの世の中にあるのは「アイデアは出せない」と言う苦手意識だけであって、いやいや子供の頃、色々遊びを考えたり、工作したり、自分らしさの塊のような瞬間や物ってものを生み出してたじゃないですか、とこれまたワークショップで必ず言う。

僕はみんながあらかじめ持っていたものを35歳にもなってしつこくそれで遊んでいるようなもので、みんなその遊びに飽きちゃっただけだと思っている。
でもなんだか時代的にアイデアはとても大切なものだと気づき始めているような気配もあって、ちょっと今新しいことを考えている。

メモには殴り書きされているんだけど、アイデアのためのアイデアが書かれている。これを来年早々に動き出したいと思っている。思いついたらすぐ実行なので今週来週で色々構想を固める。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。