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君の想像力を走れ

「不安」は誰にでもある。今日の自分が自分らしいか。これまでの自分はどうだったか。今の進む道は正しいか。まわりの人はどうなのだろう?と、そうやって自分や周辺を振り返るときに突如「不安」というものに襲われる。

僕だけじゃなく、これを読んでるあなたにも、あなたの隣に座る知らない誰かさんにも「それ」はある。不安を感じる時、僕らは大抵「孤独」の中にいる。急に心臓がぎゅっと苦しくなるような、あの感じ。心の中で渦巻く不安。じわじわと体に染み込んでずっしり足並みが遅くなる。

暮らしや仕事の中で急に訪れる「不安」との付き合い方がある。
大抵の不安は足元や過去を振り返るとき、周りと自分を見比べる時に巻き起こる。僕は経営もしなきゃダメで過去の数字、今の仕事と毎日向き合うのでもう不安は毎日生まれる。経営は危機感との共存でしかない。

そんなとき、小学生の徒競走を思い出す。なかなか100m走でタイムが上がらない時、親か先生にアドバイスしてもらったことがある。

「想像してみよう」

って。子供ながらに「何言ってるんだろう?」と思った。
世界を救うでも良い、恐ろしいものに追いかけるでも良い。
「僕が早く走るならどんな世界かを想像しよう」ということだった。恐ろしい化け物が後ろから追いかけてくる、ゴールで待つお姫様のところまですごい速度で走らないと救えない。なんでもいい、君の想像力を走れ。

なんて、アドバイスをもらって、僕は後ろから化け物が追いかけてくる怖い世界を走って見たら前よりずっと早くゴールを切ることができて驚いた。
すごい!と思った。子供ながらに感動した。でも、今思えばアスリートが自分のうまくいった風景をイメージしてプレイするのと同じだった。

たしかに「今」という足元や、「過去」というこれまでのスコアを気にして走るのは足元見たり後ろみたりしながら走ることになる。スピードが上がるわけがない。そして、多くの不安は足元と後ろを見てる時に起こる。

不安を感じた時は何に不安を感じているかを把握する。
その次は、どんな世界を走れば僕は不安を抜け出せるかを考える。
つまり、想像を広げて、前を向いて走るってことをする。

もちろん不安は悪いものじゃない。あ、これは不安だと思った時にしっかり不安を抱きしめなければいけない。それに耳を傾けた上で、じゃあこういう世界だねと想像を広げる。そこだけを向かって走り出す。

目線は足元や後ろではなく自然と前を向く。
気がつけばさっきまであった不安が遠く離れていくことを背中で感じることができる。これら全ては「孤独」の中で起きることで一人で向き合うもの。
不安と孤独に慣れることができればどこまでも遠くへ行けるブーストのように感じる。大丈夫、君ならできる。想像しよう次の世界を。

そうやっていつも自分が自分に話しかけている。

Photo by Samuel Silitonga from Pexels

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。