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コンテナプロジェクト「新しいプロセスの発明」

前回は京都で展開されるコンテナプロジェクトの始まりの話を書いた。

3年前このプロジェクトは始動しており、ホテル作りなどの発案してから完成までに時間がかかるプロジェクトに関わる僕としては非常に悩ましい課題があった。

それは、

「作ってるあいだに、コンセプトが古くなる」

という根が深い問題だ。
今回は、どのようなコンセプトを打ち出し、そこに至るまでどのような苦悩や結果があったかを公開していく。あまりコンセプトの紆余曲折は公開しないので若干ざわざわしている。苦悩を感じていただければありがたい。その末に今がある。

会議のたびに変わる考え

3年前スタートした本プロジェクトは、毎月1回の定例会で駒を進めていった。建築の基本計画が進む傍で僕の役割は、そこにどんな魂、つまりはコンセプトを埋め込むか。飛び交うイメージや出来上がる模型を見て、京都に説明が難しい&どう考えても京都の歴史上最難関な建築プランのレベルの高さに食い殺されそうになる。

最初に目をつけたのは京都特有の文化だった。

新しい職人の在り方に着目し、現代のコラボレーション時代に職人たちが集う場にしてはどうかと考えた。

しかし、考えれば考えるほど「京都に甘えたコンセプト」という、もう一人のストイックな松倉がdisってくる。別にこの街じゃなくても成立するコンセプトは、この施設にふさわしくない。
そこから一転し、まず思考回路の整理を始め出した。

当初、コンセプトは京都の文脈から引っ張り出そうと考えていた。
しかし、真逆のアプローチを考えた。今、京都にないもの。それはなんなんだろうと。当時はインバウンドの香りが少しずつ立ち込めてきた時代。どの店や施設にいっても既視感のある空間とコンセプトばかり。このカウンターを生み出すことが大切だと思った。

その葛藤の中である職人と飯を食っている時に「伝統工芸は歴史が深いから凄いのではなく、毎日変わり続けることを積み重ねているから、すごいんだ。歴史が深く変わらないものではなくて、誰も気づかないくらい時代とともに変わっているのが伝統工芸だ」という言葉に大きな気づきを得る。

そこで思考を整理したものがこれだ。頭に「自律」を掲げた。そこに「機能」として余白をぶら下げる。そして、そこに「関係」を持ち込む。
これら三位一体の状態で時代とともに変化し成長する状態を作ろう。そう決めた。この施設は僕が歳を重ねても常に新しくあってほしい。そんな想いがこの時生まれ、同時にここに僕の会社も引っ越すことを決める。

まずこの整理をつけたことで、だいぶ思考がクリアになった。

古くならないコンセプトを求めて

思考の土台ができたところで誰もが理解できる言葉に置き換えていく必要がある。これが難しい。この時まだ2年前。Nue inc始まったあたりだろうか。
言葉にした瞬間に失われる意味がある。とても慎重に言葉を重ねていった。

あるべき姿を定める言葉であり、ここでの働きを促す役割がある。
それがコンセプトだ。パッと一言でぐわっと世界が見える、そんな言葉を探す旅。ぼーっと考える中で京都の西部講堂を想像していた。学生自治。学生たちによる文化と規律でつながったコミューン。で、こんな言葉を作った。

共創を土台にした自治区。コワーキングともシェアオフィスとも違う。定められた空間と利用規定に収まるのではなく、そこにあるルールや文化までを入居者たちが生み出すリパブリック。

ここにベンチおいたら気持ちいから、置いちゃおう。とか、一緒にブランド立ち上げようか。とか。俺がみんなを売り込むからエージェンシー作ろうぜとか。一人で酒飲むの寂しいから共用部で一緒に飲もうとか。地蔵盆、今年何やろうとか。月に1回は飯持ち寄ってみんなで晩飯たべようぜとか。

そんなことが勝手に起きる。それが文化になる。関わる人たちが育てる場所になっていけば、時代とともに価値観の変容とともに、この場もしなやかにかわっていける。そう確信した。

見つけたのは「定めない」コンセプトのあり方

「共創自治区」という言葉ができたことで、ぐっとやるべきこと・起こるべきことがクリアになっていった。

たとえば、この時、僕が宣言したのが、

「名称、ロゴ、コンセプト、サイトの全てを入居者と作る。」

ということ。例えるなら「公園の砂場」。あそこは砂がある四角い箱だ。
でも、僕らはあそこで城も作れるし、トンネルも作れる。城に名前だってつけれる。街だってなんだって、想像さえできれば誰だって創造できる。

共創自治区に共感した仲間がデザイナーであればロゴを作る。
コピーライターであれば名前を作る。
エンジニアだったらサイトを作る。
僕がいるからコンセプトがあるように、そこから先は関わる仲間が作っていく。そして、そこに大きなディレクションはしない。各作り手の時代を見る感度でプランがでる。

僕はといえば「あ、これだわ」っていうだけ。ディレクションフィーもらっていいのか心配になる。でも、これが決めた今回のプロセスでありディレクション。もしかしたら、来年にロゴとか変わってるかもしれない。そんな普通じゃありえないことを当たり前のようにできる環境を、このプロセスで生み出していこうとしている。

関わる仲間の思考のヒント「空白」

共創自治区に共感した仲間たちの資料にこの「空白/BLANK」を見せた。
コンテナの形状に似ていて、そこに入る人で中の意味が変わる。
「空白を埋めなさい」ってテストに出たあれだ。

つまり、箱はある。でも中身はない。だから、僕らで埋めていこう。色や意味をつけていこう。で、何で空白を埋める?みたいなことだ。
これをデザイナーとかコピーライターとか、キャッチボールの最初の玉でなげる。かえってくる。あ、違うボールに育ってる。これが面白かった。

僕の想像のできない着想に至ったりしている。それは近々公開するサイトでわかるはずだ。ネーミングとロゴがやばい。完全にかつての自分が想像できないところに着地している。まもなく公開かつ、共感する人たちを集めて内覧会とトークも企画しているので遊びに来てほしい。まだ埋まってない空欄はたくさん用意している。

大きな生き物としての建築

僕のコンセプトメイクは少しだけ特殊でOUTERとINNERの二つを作る。
簡単にいうと外向きにでるコンセプトと、内向きに出るコンセプト。
刺さるターゲットを想定して構築するが、今回中に入る人もクリエイター、届いてほしい外の人もクリエイターなので基本的に「共創自治区」で通していく予定だ。

しかし、OUTERで作ったコンセプトも日の目を浴びない可能性もあるのでここで紹介しておく。

こういうことを書いている。共創自治区はソフトの説明だ。この難しい英語のものはハードに対して与えたコンセプト。

日本では「物語」と直訳されてしまう"Narrative"という言葉をアーキテクチャに接続している。ナラティブとはストーリーとは異なり、主人公は「あなた」であり、あなたの関わりが物語を変容させていく。このあなたが無数にある状態。物語の自己生成と変容を生み出す建造物と定義した。

物語を生み出す大きな生き物のような施設を想像している。

「木(Tree)」ではなく、「地下茎(Rhizome)」

これらコンセプトを書くまでにずっと頭の中にあったイメージがある。
それは地下茎の絵だ。昔、仕事で竹の植生を調べた時に学んだことで「竹は地下茎で繋がった同じDNAをもつ植物」ということ。

(引用:Wikipedia)

逆に「木」は木を成立させるために深く太く地下に根をはる。
木のあり方は従来の組織のものに近い。
しかし、ここでの出来事は地下茎(リゾーム)であるべきだと思っている。
最近では説明が難しいので図を見せて感覚的に伝えている。

とても哲学的な解釈であるが、ここに集う人たちの意志をDNAと捉えている。それらは同じ地下茎でつながり作り手として芽を出している。いつかおおきな何かになると、おそらくこの施設を出ていくだろう。

でも、その時、僕らと同じDNAをもって、ほかの場所に根をはるとここと同じ場がそこに誕生するのではないかと考えている。

共感する仲間を探して

まだ身近な人にしか声をかけていない。しかし、これら開発ドキュメントを見る中で「これは自分のための場所なんじゃないか」と思う人がいたら、是非連絡してほしい。

まもなく情報開示をしていくが、行動を起こしてアプローチしてきてくれた人たちには全て内覧していただいている。我こそはという人がいたら、こっそり松倉まで連絡してください。

お問合せ先
contact@nue-inc.jp

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。