考えないことの大切さ
考えることも大事だけど
考えないことも同じくらい大事。
なんて事を思っている久々の日記です。
採用に面談に来期計画、そんでもってこれらと同じ容量のお仕事で考えてない瞬間はない日々。
事務所から家に帰る道でもあのプロジェクトに経営戦略などなどもりもり考えリビングに倒れ込むとこの顔があった。
この表情のまま、30秒以上動かないのだ。
瞬きすらしない。剥製かよってくらい動かないのでおーいと目の前で手を振るとやっと動いた。
今この子、虚無やったな。
何一つ考え事もしてない無の状態の猫やったな。
野生なら狩られててもおかしくない。
考えない先生が目の前にいたのだ。
考えることが当たり前だ。大事だとも思う。
いろんな選択は考えなければ決断できない。
でも選ばないことも考えないこともその意味を理解してないと本当に考えることが正しいとは言い切れないよなと思うのだ。
むしろ、考えないようにすることは、相当難しい。
何も考えない3分とか試してみて欲しい。驚くほど考えてしまう自分に驚くはずだ。でも本当にぼーっと無の境地みたいな瞬間がなければ、1日の隙間になければ本来いけないのかもしれない。
考えない時間は不思議で五感がかなり研ぎ澄まされる。風の音とか、あ、背中今痒いんだとか、右足痛いなとか。これって自分にめちゃくちゃ向き合ってる瞬間なんだなと気付かされる。
つまり僕は多くの時間を他者や他のための思考に時間を費やしているということだ。あんまり自分のことに興味がない人間だけど、そういうことかと腑に落ちた。
僕は趣味がない人間である。
社員面談ではプライベートで何挑戦した?なにに夢中?とか話をするんだけど、みんな色々ある。それを聞いて、とても羨ましかった。自分には自分がないのだなと気付かされたのだ。
これは考えない時間を増やすことで見つかるかはわからない。無な状態が続いて、ふわっとあれやってみたいなとか浮かぶのかもしれない。考えることに偏りすぎていた生き方だったので猫先生に習って、何も考えない一年生として励もうと思う。
いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。