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恩師との対談を終えて

豊かな時間だった。思い返すと15年前の居残り講義的過ごし方。
いろんなところから、後藤さん目掛けて懐かしい面々が集まり、超混沌とした参加者。みんなどこかで後藤さんに触発されて、独自の道を歩きつつ、あの日、あの場所で先生と生徒になりに戻ってきた感じ。

会場がとてもよかった。聞けば自宅という。三階建のビルの1Fがトーク会場に。ここでよかった。本当、いい距離感と密度。後藤さんはいろんなキーワードを事前に書いていて、お客さんが聞きたいキーワードを指名する。

本当、よくしゃべる。最初の話で思い出して笑ってしまった。
もう、ずっとこのまましゃべっといてもらおうかなと思ったくらい僕には懐かしい景色。あの熱量が20歳の僕の空っぽの器にどんどん注がれてった。その結果、こうやって先生と話せてるんだなって、話が止まらない先生を眺めて思う。

お笑いの話をして、「野性爆弾」の名前を出すと、「その名前むっちゃいいやん」って、いいよな。俺もそう思う。

コンテンポラリー・カルチャーのキュレーションがテーマなんだけど、やってることがまさに今のこの瞬間の考えを語り続けるみたいで、この連続性と発露がコンテンポラリーなものごとになるんだなって思った。今、この瞬間何をするのか、ただそれだけ。それが意外と難しいのだなと思った。

終始笑って、話の2/3が文字に起こしてはいけない情報だらけで、ほとんどあかんやん!って爆笑した。先生の本を読んで、ひとまず圧倒的な知識量・経験量に圧倒されるわけだ。技術は盗めてもこれは簡単なものじゃない。積み重ねと好奇心、それと時間。いかに後藤さんを超えていくか。僕らの世代が何を打ち立てるか。僕がたまたま壇上にいたが、あの場にいたお客さん全てへの問いかけだ。

死ぬまで仕事はやめない。あと15−20年で何ができるか。
終始、この言葉を繰り返す。引退なんてない。死ぬまでアナーキーな編集者。急げ、俺。と思った。死ぬ前にひとあわ吹かせたい。それが次の時代かと唸らせたい。屋形越えを見せなければ。(嘘喰い参照くだせい)

主催してくれた松村さん、ありがとうございました。
本当いい空間でエンドレスにビール出してくれるから、ここは夢の国かなって思った。また遊びましょう。ぶちかましましょう。

ケータリングがまさかの田中さん!超美味しかったカタカナ四文字の覚えられない料理!ピリ辛できゅうりの歯ごたえが凄い良いアクセントな一品でした。あんなん作れるんまじ凄い。ごちそうさまでした。

気付いたら終電なくて、まぁいいかーと解散後、ビール片手に天満橋から大阪駅までミッドナイト・サーベイ。この日の出来事を酔った頭で振り返って、客引きになんども呼び止められ、ラーメン一杯分の小銭しかないんだわ、というと、あそこのラーメン屋ならこの時間空いてるから!と教えてもらい練り歩く。

はぁー超うめー!とラーメン喰いながら呟いてたら店主が嬉しそうにありがとうございます。こちらこそ。この時間帯の癒し。夜は過ぎてく。始発を待って電車で爆睡。乗り換えて、さらに爆睡。京都の果てしなく左上の方に運ばれて警報で目を覚ます。大雨のはじまり。家に着いたのは朝8時。

素晴らしい夜に感謝。

後藤さんの新著は、アート関連の本としても読めるし、この時代をどう備えて戦い生きていくかの現代版サバイバルブックでもある。特に芸大生は必読であるし、卒業し作家活動をするアーティストもまだ間に合うから読むべき情報が多い。アートのみならず、ビジネスの世界においてもこれら戦略や先読み、予見は求められる時代ではないかと思う。ぬるま湯なんてもうどこにもない。知識と力と戦略で戦う以外ない時代。最高の時代じゃないかと僕は思う。



いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。