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「当たり前」との戦いからの変化の眩暈

多くの人を置いてけぼりにするようにTwitterが急遽「X」となって、デスクで声を出してしまった。劇的な速度で変わり続けるTwitter。それにアレルギー反応が出る人。どちらも冷静に見れば対して大きな問題ではないけれど、Twitterが気づいてきた居心地や、そこで巻き起こったことへのユーザーの愛を感じる。

痛みが伴いすぎる変化を意気揚々と笑顔で変えていくイーロンマスク。嫌だったら離脱していいよって姿勢を感じる。それに乗っかろうとしてユーザーが激減しているスレッズ。明らかにいい意味でも悪い意味でも変化を起こすのは前者だなと思う。

「何かを変える」というのは、それまでの「当たり前」との戦いになる。会社のことでも変化を起こすと「え?なんで??」ってリアクションが多い。経営している人間は四六時中、もっと会社が良くなる方法を考えている。10も100も思考実験をした結果、こう変えると宣言するので工程をすっ飛ばして決定を放つ。後になってわかるとも思うし、その工程のディティールを全て教えている間に次の変化を起こす必要がある。

今の時代ってそのくらいの速度なんだと思う。僕らのような小さな組織でも日々変化をしない限り潰れる。学ばない限り、前に進めない。同じことの繰り返しでは後ろに戻っているのだ。だって今は思っているより早く前に進んでいるから。時間が流れる速度が早まっている。時代の速度も同様だ。

なので「X」への早替わりも笑ってしまったけど、違和感はなかった。悲鳴のような終わった感の声も聞こえるが、たぶんいずれこれが普通になってTwitterだったことを懐かしいねというのだろうなと思う。

さて、自分は変わってこれたかというと、本当に毎回相談がユニークすぎて心が分裂しそうになっている。あっち向いてこっちむちてとくるくるしてると目がまわる。もしかしてずっと同じ場所にいるんじゃないか?と不安になるとくるくるしすぎて少し宙に浮いている。そう、旋回しているんだ自分は。

どんどん俯瞰する広さが広がっていって、今自分の持っている認識と周りで一緒に作っている人の認識に時差が生じていることを感じている。またここで言葉の力が必要になる。ぐんとこっちの方まで引き上げて、ほらこういう風景なんだよ今っていう技を身につけなければいけない。

自分で変わるという意識は一度も持ったことがないかもしれない。周りの環境が変え続けてくれている。これはありがたいことだ。なぜなら自分で変わるってすごい大変なことだから。必要に駆られて自分は変化させてもらっている。居心地の良い場所は大事だけれど、ずっとそこにいてはいけない。

今年、ご縁があって今までの20年の学びをまとめる機会をいただいた。

https://coloso.jp/visualcommunication/planner-matsukura-jp

任天堂スイッチ買えるくらいの値段とるやん。大丈夫かな。。
20年で学んだことを体系的にまとめると、今まで一緒に仕事してきた人たちが走馬灯のようにでてきた(誰も死んでないです)

自分で獲得したものもあるけれど、8割型はいただいたものだなと感じる。そして、自分の仕事を題材に講義を作っていくと毎回作り方を変えている自分に驚く。よくもまぁこんなオーダーメイドでやりつづけたものだと自分が自分に感心する。

「作り方から、作る」ということをここ数年徹底して向き合っている。制作プロセスからコンセプトを全うしなければユニークなものは生まれない。というかコピーされた工法のものを多くの消費者は見抜いているハイパー難しい時代だと思うし、正しい挑戦には正しい評価が下る時代にもなったように思う。

突如として登場した「X」をみながら、自分は変われているか、変わり続けているか、ということを急に問い正しくなった。
めまいがするほど変わっている。もう少しでゲボ吐きそう。

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