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本当の言葉は隠れた場所でしか巻き起こらない

と、思っている。

例えば、トークイベントの二次会や飲み会の3軒目あたり。
人も目減りし、限られた(残された/残りたかった)人間だけが小さな卓を囲んでビールや日本酒をちびちびと夢か現実かも曖昧な境界線上の話をする。

ありがたいことに今までいろんなトークイベントに登壇させていただいた。特にカルチャーよりや、仕事がらみの50−100人規模のトークイベントだ。それ以上のフォーラム的なものは経験はないが、50人を超える対話の場はいつも居心地の悪さを感じていた。珍しい動物を見るような空間というか、出来の悪い映画をみているような状況というか、そこには見る人と出る人が干渉しない不思議な壁がある。

質疑応答などしようものなら、静まり返るのが常でだったら時間いっぱい話し込んだ方が聴衆のためになる。ということで僕は質問はトーク終了後で良いと思うという提案で済ます。そもそも僕の話が面白くないということもあると思う。回を重ねるごとにどんどんと聴衆に合わせることをやめて、対話する人と2人で踊るように勝手に話を進めるようになった。

しかし、お金を払って来てくれている人たちである。お値段以上は返したい。そんな微妙な距離感を感じながら悪いなぁとも思いながら会話を進めることに違和感が爆発して、とうとうトークイベントはでなくなった。そして、コロナに突入した。

そんな中、こういうサークルを生み出した。サロンでもなく、エアプロダクション。何と今20名のメンバーがいる。みんな個性が凄い。混ざっている。

20人それぞれ背景も違えば個性も仕事も違う。こういったコミュニティ運用は初めてなので何が正しいのかわからないまま、手探りで進めている。

そもそも僕の会社には魅力的で変な、でも超何かしらのプロフェッショナルが遊びに来る。京都の人も、東京の人も、大阪の人も、福岡の人も、いろいろだ。いつも事務所で酒を飲み交わしながら「最近何してるの?」ってな具合に色々交歓しあうのだが、これがまた面白い。こんな面白いものを俺だけ聞いてて良いのか?とずっと思っていた。

あ、そうか。トークイベントの歯痒さはもしかして解決できるかも。
ということで、このコミュニティと少し気になってる人に限定してリアルの現場とオンラインの場を繋いでトークした。合計で25人ほどか。ここでの会話はオープンにされることがない秘密のトーク。通常の公開トークではいえないあれやこれやが飛び交う。

かなりの割合で未来に取り組んでいることを公開トークイベントでは離せない。まさに今作っていたりのスタンバイ状態だから。なので、ここでの会話は世界でたった25人しか聞けない会話になった。

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もうこの態度である。酒を飲み、タバコを吸う。テーブルには日本酒がどんと置かれて終わりの時間も気にせず、話も紆余曲折曲がりまくる。答えなんてでなくていい。今日の、今の会話を、聞いてくれる人の脳味噌に混ぜ込む。これらアーカイブは今混メンバーは過去アーカイブで見ることができる。それ以外、ここの会話を見る術はない。

今、簡単に多くの人に映像もテキストも届けることができる。天邪鬼かもしれないがそれには違和感がある。真剣に読む本と、だらっと読む本ではインプットの質が異なる。僕らが飲み会で交わした会話は酔っ払っているのにめちゃくちゃ後者。真剣そのものなのだ。この淀みのような時間からキラキラと輝く発想が生まれると思っている。少なくとも僕はそのリソースで仕事が広がっていると思っている。

9月は2回のトークを予定している。
崇仁新町を作り出し、運営してきたプロデューサーの小久保。
彼とは崇仁新町を作った話から、そこでの経験をローカルにどう活かすかの議論をしようと思う。今まさに盛り上がってきている福井の高浜明日研究所の話もそこでしよう。

そして9月の後半には篠山でarchipelagoのノブこと小菅。
大学の頃の話から、CETの話、そして、彼がarchipelagoを生み出した話をメインに田舎町でインディペンデントな店舗を展開するノウハウを聞き込もうと思う。

この混沌としたトークは、今混の中だけ。
高濃度に圧縮したここだけの対話を怠惰な空気で、でも真剣に語り合っていこうと思う。本当の言葉は、隠れた場所でしか巻き起こらない。そんな気がしている。

言葉を交わそう。思考を交わそう。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。