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さよならの準備

10年とか11年前、まだ子供も生まれてないころ。僕は茨木に住んでいて、猫を飼い始めた。里親募集のサイトで見て、黒猫の子供が可愛らしく、すぐに連絡をすると直ぐに子猫を連れて来てくれた。なぜか2匹。

黒猫兄弟のオスとメス、最後の2匹で1匹だけ残るのは可哀想だから2匹どう?って子猫を前に言われると断る理由はないわけで、二つ返事で我が家に子猫が2匹きた。オスのムンクとメスのベルカ。あの日から、もう10年が経ち、子供が二人増え、子猫がさらに1匹増え、会社は2個立ち上げと20代中盤から今日に至るまでをこの黒猫兄妹と過ごしている。

最初は両手のひらに乗るくらい小さくて、キューキューいうてた子がオスのムンクだけどんどんでかくなり、妻の友人の子供があまりの大きさに泣き出すくらい巨猫になった。ドシッとゆっくり、誰にでも優しく一度も怒ったところを見たことがない。心優しい大きな猫。

今、ムンクは喉の腫瘍があり、妻がなんども動物病院に足を運んでくれたが、手術をしたところで完治すら難しい状態にある。そして、ここ数週間は少しずつ食欲も落ちてしまい、今僕の足元でスースー眠っている。最近は水だけ飲むほどに食べ物が喉を通らない。

手術をして、薬を売って、怖い病院に無理やり連れて行くことが、この子にとっていいのかを妻と会話し、家でいつも通り過ごさせることを選んだ。延命することの意味をじっくり考えさせられた。生きるって、なんか複雑だ。

ムンクは僕の膝の上に乗るが好きで、ゴロゴロ言いながらのっしのっしやってくる。重たいなぁと10年言われ続けてたので器用に体半分だけを僕の膝に乗せてくる謎の優しさを持つ。その子が膝に乗った時、あまりの軽さに涙が出そうになった。ペットを飼うことの意味は十分理解しているが、もう先は長くないことをその軽さを持って痛感する。

仕事でいないときかもしれないし、家でしっかり看取れるかもしれない。
そのさよならの時は、意外ともう直ぐそこまで来ている。
顔だけ見るとクリクリのビー玉みたいな目がまが元気そうなので君が生きれるその時まで、その命を見届けるよ。

生まれたばかりの長男や、娘にも「なんだこの生き物?」と優しく覗き込んでる姿を思い出す。子供が泣くと大丈夫?とぺろぺろ舐めに来てくれたり、後から来た子猫のココちゃんがミューミューいってるときも、優しいお兄ちゃんでいてくれた。まだ無邪気なココちゃんも、いつもとムンクが違うみたいだとチョッカイをかけずに何度も覗きに来たり、ムンクが見守って来た小さな命たちは、君のような優しさを持つ子供に育っているよ。

さよならのその時まで。心の準備をしなければ。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。