見出し画像

僕らが生きてる日常は「誰かに作られた日常」だ。

誰かに作られた日常だったのかもしれない。

ふと、二時間ほどの限定公開トークイベントを終えた帰路で、そんな気づきが頭をよぎった。
夜の二条城のお堀は静かで、目を凝らして見ると車のヘッドライトに反射する鳥の目が二つ光る。じっと水に浮かんでいる。寝ているのだろうか。プカプカと熱帯夜のおそらくは緩いであろう水の上にたゆたっている。

明日、何があるのか把握してない日々が続いた。
周りからも目に見えて「忙しそうだね」と心配されるほど、スケジュールも僕自身も余裕がなかったのだろう。余裕がないと思考量は減る。思考量が減ると不思議と野性的な判断が鈍る。人は思考してこそ人なのかも知れない。

真っ赤に埋まったスケジュールを開くと、ポッと暗がりの夜道に僕の顔が浮かぶ。深夜1時。明日のやることに、はいはい了解と一つ返事をこぼす。
僕が選んだわけではない予定で1週間がどんどん埋まっていく。だいたい週の始まりは来週こそ平和だろう、だから今週を乗り切ろうとしてきた。週末には翌週のスケジュールは真っ赤に埋まっている。完全に自分の速度を見失っていると気付いた。今、生きている日々は自分が計画したものではなく、僕ではない誰かが作っている。そう思うには十分な予定量だった。

溜まった筋肉痛のような疲れを感じながら、アラームをかけずに寝れる唯一の金曜日夜にベッドに体を投げ打つ。疲れているはずなのに思考が止まらない。完全なるオーバークロック状態。経験上、ワーカーズハイみたいな日々はこれになる。しかし、それがデフォルトになりそうな不安がよぎる。普段は怠惰な生き物が自分自身だ。

自分の日常を取り戻そう。
普段と変わらない寝起きの顔で子供たちと飯を食い、ゴロゴロとしだした。
今起きてる問題は、自己ペースを取り戻すことを思考する時間すらないこと。そこを確保する。今の仕事がつまらないわけではない。仕事の時間を減らして云々ではなく失われた時間を取り戻す必要があるとデジタルデトックスの本を読み、記載されるワークショップを週末に1人で実践。1週間の運用を行なった。やったことは以下。驚くほど簡単だが効果は絶大だった。

・スマホ/タブレットを「何のための道具か定義する」
・上記、定義に伴い不必要なアプリは削除する
・残ったアプリのうち、道具が果たすべき役割に通知が必要なければ切る

上記、簡単な僕の判断はこう。

・スマホ/タブレットは、自分自身のマネジメント道具
・Youtube/SNS一式は全て削除
・メール/業務用チャットツールのみ通知あり

上記設定で1週間を過ごしたが、スクリーンタイムを見ると驚いた。
これが通常時のスマホの利用時間。

スクリーンショット 2020-08-30 0.26.35

1日平均5時間は使っている。週の合計で35時間もの間、あの画面をみているのだ。1.5日/週スマホをみていた思うと驚きを隠せない。

次に1週間スマホ・タブレットの再セットアップ後はこれだ。

スクリーンショット 2020-08-30 0.26.23

SNSカウントされてるやんけと思うが、これはDiscordやメッセンジャーツールのカウントだった。以前と比べるとスマホを開いてる時間は半分に減った。みてわかるように読書時間(オレンジ)が増えた。SNSを見ないかわりに手持ち無沙汰で仕事の本を読んでいた。

相変わらず仕事はドタバタしているが、ひとまずは取り戻した18時間を自分の思考や同時並行する各プロジェクトの見直しに当てることができた印象だった。そして、こうやって落ち着いて久々に日記が書けていることも嬉しい。紛れもない自分の時間だからだ。

少しずつだが、でも確実に自分の日常を取り戻し始めている。
時間は…当たり前だが有限だ。しかも残弾がわからない。どうせなら自分が設計した人生を歩みたい。誰かが作ったものではなく紛れもなく自分の選択の積み重ねの日常を生きたい。

ちなみにSNSは完全に悪だとは思っていない。
これだけ瞬時に世界中の人々を繋いだテクノロジーだ。
しかし、ポケットに入れて見るものではないと思った。仕事終わりや家に帰ってから、もしくは今日のような週末に覗いている。みんな元気そうだ、僕は最近こういうことがありました。そういう感じで週末だけ生存報告のように覗くことで十分だと思った。

こうやって書いた日記も書いて一方的にタイムラインにシェアして生存報告としようと決めた。昔はテレビをだらみしていたのが、次はタイムラインや無限に続く動画になって、基本人の時間を食う何かは存在し続けている。テレビのチャンネルをつけるとき、何かアプリを起動するとき、どこかのSNSを覗くとき、これは自分にとって何のための道具なのかを考える。

目的のない選択は自分自身の貴重な時間を捧げているようなものだ。
あなたの時間が、それらのサービスのお金に変わる。だって無料だったでしょう。彼らはみんなの時間をお金に換金して商売している。賢い。石油より優れた無限採掘可能な資源だ(人間が絶滅しない限り誰かの時間は生成され続ける)。その行為の目的と意味を考えて暮らす。たったそれだけで、自分の日常を取り戻しつつある。

自分の人生のハンドルは自分で握るべきだ。
まわりを見るとどこか誰かの自動運転に任せているような日常が横切ったりしている。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。