見出し画像

人生は予期せぬことの集合体

人生は予期せぬ出来事に対応できるようにできてはいない。
一つの都市のような巨大な病院がまるで空港のようで見上げてしまう。
この風景にいる人たちのほとんどの人が何か体に予期せぬことがおきているのだ。人間の健康というのは物凄い絶妙なバランスで正常を保っている。

おでこの傷を摩りながら、ハイテクな人間の体と浜松の夜に泥酔して目覚めるとオデコを怪我していた己のポンコツさを不思議に思ってしまう。こんなよくできてるのにすぐバグる。いや、俺が悪いんだけどね。ちなみにこの傷で病院来たわけではない。

いつでも自分は健康だし、仕事も順調だし、笑顔で人生は進んでいくと心でうっすらそう信じていた。でも、それには何の保証もない。1mmもないのだ。なぜそれほどまでに盲目的な幸福を過信していたのか。待合席で長蛇の列を作る人たちを眺めて思った。みんなそう思ってたよなと。

体の臓器一つ一つが役割をもって、血液とかもういろんなものが仕事を全うしている。株式会社マツクラである。その一部署がトラブルと他部署もそれをサポートしようと動く。その負荷が悪い影響を出したりする。もう本当、会社組織みたいだと思った。

で、今回大きなことに気付いた。当たり前に過ぎていく今日の自分や家族や仲間をよくよく見つめることが大切だってこと。日常の些細な違和感に気づけるか。その眼差しこそ愛情だろうと思ったのだ。人生は大きく俯瞰で見がちだ。だって昨日も今日も大きな違いがないから、でもその一見変わらない日常にこそ小さな変化はあるのかもしれない。

それは良いことも、悪いことも一緒。
息子がレゴで車を作って来た。よくあることで。おぉ、いいじゃんって褒める。よく見ると「おや?」と気づくことがある。6輪編成になっており後輪に4つの構成になっているのだ。「うしろ、なんでこうしたの?」と聞くとトラックがそうだった。バスがそうだった。重いものを運ぶにはそうしたほうがいいと気付いたという。「すごいじゃん。よく気付いたな」この最後のことに気付けることが大事なのだと思った。

最近、少し元気ないなとか、顔色悪いなとか、そういうことに気づいて「どうした?何かあった?」と気付けることが大事なのだと思った。大局で見ると誤差ほどでしかない。でも、緩やかにそれは悪化していくものなのかもしれない。そのよくない状態が普通の状態に感じてしまうのかもしれない。それに気づくことの大切に気づいた。

何より、自分が一番最初に気づかないといけない。それってすごい難しい。タバコやめてからしっかり太っている。病院の体重計+身長測れるやつ乗ったら、めっちゃ太っててすぐに目を逸らしたからね。目をそらし慣れているんだよ僕ら人間。でも、あれ、これいつもと違うぞって実は気づいてる。僕の場合だと視界に入る1pxくらいの肌色がほっぺなんだけど、前に僕の視野にはなかった1pxなの。それがある。あるなとは気づいてる。でも、太ってきてると気付いてなくて体重計乗って気づくわけ。

今回の色々を経て、自分や家族や仲間をよくしっかり見つめようと思った。その些細な変化に気づくことが一番大切なのだと痛感した。そして、人生は何が起こるかわからない。そのわからないために今の準備をしておくべきか、そういう「余裕」みたいなものが暮らしでも仕事でもとても大切になる。

今あまりに余裕がない。少し考えて整理していかなければいけないなと思っている。多くを学ばせていただいた。毎日を愛でて明日に備える。これ大切にしていこうと思う。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。