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酔いの先は人間の本音が転がっている

「どんどん自分の作ってるものに関心がなくなってきている」
そんなことを泥酔しながら溢していた。自分でも翌朝起きて驚いたりしてるけど、酔いの先は人間の本音が転がっているものなのかもしれない。

すごく良いものができたという手応えが徐々に薄れていっている。
同時に気付かぬうちにこの数年の制作プロセスに新しい要素を実験的に加えていっている。そういうことを受け入れてくれるプロジェクトでしか実現できていない現状もある。なので通常の良いもの作るという道筋のものも並行して存在しており、自分の中で少しコンフューズ気味な日々でもある。

作るもののスケールは確実に大きくなっている。さらに目に見えるアウトプットではなく仕組みや思想といった不可視なものの設計がとても増えている。そこに今夢中になっている。色々なものを作る機会を頂いてきた、そこをコツコツやっているとどうやら自分も想定しなかった場所に突っ立っている。

僕はデザイナーではない。エンジニアでもない。
誰かが僕を紹介してくれる時に言葉に詰まらせてしまうのがデフォルトだ。
良いのか悪いのか判断つかないが、まぁ良いやと思っている。

熱狂するということは20代くらいで終わったように感じている。
30代を過ごす間に冷静さの方が深まっていった。熱狂は大事だが時に視野を狭める要素でもあると思っている。大人になったのかな。新しいチャレンジは子供みたいなものが多いけど。冷静と情熱のあいだって小説あったね。あんな感じの場所にいる。

絵とかポスターを飾る時に壁にかける人と、少し離れて「もう少し右下げて!」とかいう人の立ち位置が近い。その冷静さを冷めているといえばそれまでだが、そこに熱はない。一人でじっと考えて、こうだっていう目に目ない設計図を書いて、それはそのまま伝えても誰にも伝わらないのでゴニョゴニョして動かしてみる。ほら、新しい風景がで見えてきた。その一瞬にちょっとだけ熱狂する。

たぶん、もう前の場所ではワクワクできないのだと酒場の帰り道ふとおもったときがある。次の新しい山の登頂は先人の足跡はない。危険も何もわからない。最低限の道具だけに絞り込む。かつての道具や知識は置いていくことになるのだろうと思う。20代から30代で広告の知識を置いてきたように、なんとなくだが40代に手をかける前に早めに次の登山口に来たような気がしている。

最近は異常なドタバタで思考する余地がなかったが、昨日ふとその会話の蓋が開いてポロポロと言葉や思いが転がり出てきた。もう頃あいなんだなとおもう。
次の段階へぐっと視野をあげて、もうすこし頑張っていく。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。