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コンセプトが可変する場

とあるお仕事で物件開発のプロジェクトが進んでいる。まだ時期は早いが今までにない開発プロセスを持ち込みたいと悶々と考えていた。

従来の施設は名前も用途も空気すらも設計された状態でテナントや居住者を集める。それに少し違和感を感じていた。「この感じ好きならどうぞ」っていう距離を感じたりしていた。

このあらかじめ設計されたものを選ぶのって本当に入居者にとって楽しいことなのか。なんなら人が入る前に作られたコンセプトに詰め込む状況(マッチすれば全然いいが)って欲しい100の空気のうち80くらいは満たしたから入居って感じもいるはず。

これを入居者全員100にしたい。そういう願望がまずあった。ありえないんだけどなぁと少し諦め気味に。
そしたら昨日、子供と遊ぶ公園ですごいヒントがあった。

休日の公園はいろんな年齢や趣向を持った子で溢れかえっている。そして夕暮れの帰り際、みんな名残惜しげにバイバイしていく。こんな近くに入居者全員100の状態があった。入居してないけど。

彼ら彼女らがここでやっていることは、
-集まる
-遊ぶ
-出会う
-飽きたら最適な遊びを開発する
-同じやりたいことがある子同士マッチングする
ということが起きている。

集まる時は0なんだけど、遊んだり出会ったり開発したり仲間が増えたりというステップを数時間で構築しコミュニティが生まれている。
そしてバイバイの時には、またこの公園で会おうねと約束して別れていく。

おそらくまた来るとこの前遊んだあの子がいたとかでユナイトする速度はもっと早いし、この工程はもっと早い速度で進むんだろう。

あぁーこれを施設開発に取り入れたらいいんだと気付いた。あるコンセプトに定まった場ではなく、白紙の場に遊びたい子が集まることで場の意味や出来事や役割が変わり、遊びに来ることで仲間が増え、新しい刺激で場に違う側面が生まれる。

完成されたものを目指すということは良い側面もありつつ、予定調和を生む。ランダムすぎる暴れ馬状態になることもありえるかもしれないが同じような施設がひしめき合う中、サステナブルな場を産もうと考えるとルールから自分たちで作っていく場のあり方が最適解な気がしている。

飽きたら別の遊びをしようが今の施設ではなかなか難しい。それが当たり前の状況を夢想する週末。

#日記 #エッセイ #仕事

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。