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ライスワークとライフワーク。僕はライフワークだけで生きていきたい。

眠気がこない。今は朝の3時半。こういう時は焦って寝ようとすると逆効果なので諦めて日記を書き出した。なんか音楽でも聴いて思いのまま書く。今日を閉じていく作業に日記はもってこいだ。

昨年の秋頃からスケジュールに振り回されて余裕がなかった。余裕がないなりに危機感はあり、端的にいうと「これって誰の人生よ?」と思いながら日々を駆け抜けていた。


自分の軸を取り戻さないと。


ふと12月ごろにこのことを思った。
今は完全に誰かさんたちの軸で踊らされている。この人生を自分リードに戻さないとまもなくプレイヤーとして死ぬ。そんな危機感だ。

まだ始まったばかりの今年も意識しながら暮らしている。
前まではどうしても打ち合わせしたいという相談が急にきて素手に5本も打ち合わせがあるのにねじ込んでいた。でも、それももうやめた。今年に入ってからは1日2本までと決めている。理由は簡単でディスカッションに集中できないから。

残業もしないし、土日も極力働かないスタイルでも盛大にそれも簡単に人生の主導権は奪われていく。仕事の残滓みたいな思考がプライベートにも混ざり込む。楽しいものならいいがクオリティに直結しないものに関してはストレスでしかない。ワクワクしちゃう思考は全然持ち帰るけど、そうじゃないものはビジネスタイムまで忘却する。

生きている間に関われる物事は限られている。
引退があるのかわからないけど、必要とされる期間も限られている。
そう考えるとこの手の仕事で今誰とどういう仕事をするかを選ぶことはめちゃくちゃ大事だ。

ライスワークとライフワークって言葉がある。
前者は飯を食うための仕事、後者は人生としても心としても生きていくことそのもののこと。好きなことをやるとかね。僕はライフワークだけで喰って行きたいという強い思いがある。そんなことできるかいとなるが、僕にとって何か課題を考えることはライスではなくライフワークだから。

悩みや課題があり、それをどう解き明かすか。それは僕の人生にとっての一番の快楽でもある。本音を言えば、形にすることは僕じゃなくていいとすら思ってる。思考や思想、解き方みたいなものを生み出せた瞬間が一番達成感がある。人生をこういう時間のみで埋め尽くしたいのだ。

いずれ弊社のスタッフも自立して飛び立っていくだろう。
最後は一人に戻るんだと想像している。始まりがそうだったように。
狭い部屋に大きめなテーブル一つ。壁にはメモ書きやスクラップが貼り付けられていて、机の上や床にはたくさんの関連書籍が無造作に置かれている。そこで僕はタバコに火をつけながら、日がな色々考える。そんな日を想像している。たった一人で思考の海に潜り続ける日々だ。

こんな想像がすでにできている時点で、おそらくそうなるのだろうと思う。ノックが聞こえたら酒を持った友人か、困り果てたお客さんのどちらかがその部屋に訪れるのだろう。そんな日々を迎えるためには今最も自分にとって意味のあるものだけに関わるってことが大切になってくる。

時間も人生も限りがある。そのキャパシティを超えるのは社員を増やすということなんだろうけど、僕は僕の頭で考えたい。なので自然と一人のおじさんの限られた時間でできることでしか対応はできない。だから組織を拡大しようなんて気持ちもさらさらない。やりたいことをやるための仲間は増えていくだろうけど、やりたくないことのために人を増やすのは自分の人生にとっても、そこに巻き込まれる人にとって良いことなんてひとつもない。


何かの縁で生まれ落ちたわけで、その人特有の個性や得意なことがある。
なんのために生きているのかを考えてみる。僕だけじゃなくて、あなたも。そこには必ず僕やあなたがやるべきことがある。そして、それ以上にたくさんのやらなくてもいいことがある。それをしっかりと見極めなければいけない。誰のルールにものっとらず、自分の判断で見極めなければいけない。30代というのはそういう段階なのかもしれない。

僕はぼくのやりたいことを、僕なりの方法で守っていく。
過去の自分にダセーことしてるなとジジイになって言われたくない。
常に明日や未来はより良くなっていくことのためにあるはずだ。
何もよくならない、心がおどらない。そんなものは人生にとって不要なのだろう。そう簡単に切り離せないものごとだから、なおさら強い意思で向き合っていく必要があるのだと思う。

生きるってのは簡単なようで超難しい。そう思う。
その人らしく、楽しそうに生きているってのは、表に出してない強い意思ってのが宿ってるんだなと思う。もっともっと強くなっていこう。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。