見出し画像

悩みがあるのは成長してる証拠

仕事も生活も今のように一人で新幹線に揺られる時間も僕は僕という主体性や思考を持って行動をしている。何一つ嘘はなく、やりたいことをやっていて、言いたいことを言っている。しっかり悩みもあるし、分からないこともある。

僕より若い子に相談を受けると自分が何をしたいのか、何者なのか、はたまた何もないのか?そういう悩みを聞かされる。まるで全てを知っているかのように。僕も君のようだったし今も君のようである。そのことを伝えると、最初は分からない顔をするが徐々に理解が浸透して自分で貸していた重石をゆっくり下ろす。

何かもっと崇高な存在にならなければいけないと思い込んでいる人が多い。悩みもなく自信一杯に正しいことを行う。そのようにあれと誰が教えたのか。メディアで見るのは誰かの凄いことだけで、もちろんそこから学ぶことも大切だけれどすべからく人は完璧ではないというダメなところをひた隠す。

僕にそういう相談が多いのは、ダメさも含めて自分自身だという認識が強くあるからかもしれない。むしろ、それをさらけ出す人の方が僕は信頼を置いている。誰だって完璧じゃないことを知っているのに、そうなる必要があると自分に言い聞かせている人は多い。

こうやって何か分からない不安をしっかり見つめ、これが何かを聞きにくる人は大丈夫だなと思う。その道のどこかで僕と同じことに気付くだろうなと思うし、分からないことをしっかり悩めるのが僕たち人間の魅力だから。

むしろ、思考を捨てて分からないことを隅に起き、みんながそうしたから自分もそうしたという一見普通な子の方がずっと心配である。悩むという行為は人が精神的に育つための素振りのようなもので、それをしない。人間で悩まないのは赤ちゃんだけである。20歳を超えて悩まない人間がいたとしたら、そちらの方が心配である。

もしかすると人知れず部屋で苦しんでいるのかも知れない。そうであればいいなと望みながらも、喫煙所で就職活動をする学生の会話が、まるで彼らの言葉ではないような軽さで語られていることに少しだけ不安を覚える。

何事も行動に遅いことはないと言いたいが、悩むことから長い間逃げ続けると、それは本当に危険なことだと考えたりした。

こうやって暇な時間に人の苦悩を考えるのは、企業や行政の苦悩を聞き打開策を考えるのが仕事だからこその職業病なのかも知れない。良かったじゃん、悩んでいる自分がいて。いつも僕はそう言葉を投げる。

#日記 #エッセイ #悩み

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。