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悪魔と踊る覚悟はあるか

どうやったらクリエイティブ業界で働けますか?と聞かれることが多い。
背景としては芸大卒ではない自分が、この業界で15年くらいやってきてることに起因している。同時にインターネットがデフォな世代の走りくらい。

僕自身はWEB広告のチームで広告代理店と一緒に仕事をしてきた。
SNSもデフォなので振り返ると生々しい制作現場の発信をしてきたこと。
実はそれを後悔している時期もあった。

理由としては、3Kばりに過酷な仕事だったから。まだ何も知らない学生たちがそれをみた時にその夢を積んでしまっていたこともあるかもしれないと思っていた。もう1周どころか数周この考えは回っていて今はありのままでいいと思っている。

なぜなら、今、僕たちは過酷な労働環境ではない状況でビジネスすることができているから。
むしろ、ことの本質は目に見える過酷さにはないところであって「覚悟はいるよ」ということを伝える必要があると考えた。この業界、才能で食っている人は1%もいないはず。ほとんどは制作業に従事する人たちの99%の努力ででできている。

自由に、自分らしく働けると思っている人も多い。でもそれは目に見えている要素からの判断に近い。
表現領域は各自に他の仕事に比べて裁量が与えられている。それが自由に見えているのかもしれない。でも、結果を出さなければいけない。
他の分野で働いたことはないが、たった一人に課される裁量はかなり重めな方だと思う。そこに耐えられるかが問われるのがクリエイティブ業界ではないかと思う。

明日までにアイデアが欲しい。と言われたらあなたは何をするか。アイデアを考えるだろう。でもそれだけではだめだ。期待を超えていく・想像を超えていくことが基本となる本業において、僕の場合は5-10案用意する。もう40手前になってもなお新卒と同じ数を用意している。

この仕事は、「分かりやすく見えるわけでもない期待値」を意識して日々過ごすことになる。その荷重に耐えれることができるのかの方が僕は気になる。言葉を変えると「悪魔と踊る覚悟」があるかどうかを問うようにしている。悪魔は期待でもあり、自分自身でもある。常に自分が自分自身の限界を問いかけてくる。休みなく365日毎日だ。

多くの人は「踊らされる」だろう。大切なのは「悪魔”と”踊れるか」どうかだ。踊らされてはだめなのだ。最高なのは悪魔を踊らせることだ。自分自身の限界を、可能性を、こっちのコントロールで踊らせる度胸が必要だ。

特に私たちの仕事は受託業といって依頼を受けて、期待に応え、結果を出すことが仕事だ。少し考えたらわかるけど基本的に自由の枠組みなど毛頭ない世界だ。唯一あるとすれば発想と表現のその一瞬。
制作プロセスを自由に設計することはあっても、大きなフレームで見ると誰かのオーダーの中で結果を出すために働いている。なので自由で華やかな仕事じゃないですかと誰かに言われると同業はおそらく苦笑いをしている気がする。

自分らしさを表現したい、自分らしく生きたいためにこの業界を選ぶのは少し違う気がしている。というか、「仕事」というものにその意識を持ち込む人はもう1回くらい義務教育をした方がいいかなと思う。世の中の全ての仕事は誰かのためのものであり、自分のためのものではない。
Youtuberが自由な仕事のようにみえるが視聴者の期待に応えたいので軸は視聴者にある。
根本をいうとYoutubeというプラファットフォームの手のひらで働いている。

仕事にそういうものを求めるのは灯台下暗しだとも思う。そもそも自由は自分自身が最初から保有しているものである。その制限を自ずとかけ(かけられ)元々持ってたはずの自由を探し始めている。もうすでに自分でもっているのに。

自由や自分らしさのたぐいに悩んでいる人は、まず自分はどういう呪縛に絡めとらえているかを見た方がいい。それは誰のルールだろう?自分が勝手に、社会が勝手に生み出したものじゃないかと伺って自分自身をみてみてほしい。

話をクリエイティブ業界に戻そう。クリエイティブ業界に入ることを目的としたことは一度もないのが本音だ。根源的にあるのは「伝えたい」という気持ちだった。自分や仲間たちと見つけためちゅくちゃいいものを「誰かに伝えたい」そんな気持ちが子供の頃も今もここにある。

欲望にも近いのかもしれない。そのとき、自分の中にいる無邪気な悪魔を感じた。ワクワクして寝れない夜や、友達と閃いた面白い遊び、こんなことしたらめっちゃかっこいいんじゃない?と盛り上がった飲み屋。そのとき、僕や一緒にいた人の心の中で小さな悪魔が踊り出したように感じた。

何かを作り、伝える仕事は、この悪魔と共に生きていくことである。夜遅くまで徹夜することが悪魔なんじゃない。締め切りが短いことが悪魔なんじゃない。今、この背負った期待を超えるバカほど面白いものを生み出したい、そう囁く自分の悪魔に頷き手を取り踊り出せるか。振り回されずに振り回すくらいに悪魔と踊れるか。気がつけば朝日が出てくる日もあるし、げっそり痩せることもある。でも僕はそのことを一度も嫌だと思ったことがない。悪魔と踊り騒いだ結果のそれだ。

これは僕だけの才能じゃない。誰にでもここでいう悪魔は飼っていると思う。義務教育期間にえらく弱ってる人もいるだろう。誰かに縛られて弱ったものもいるだろう。でも、そいつを弱らせたのは自分自身だ。その存在に気づかずガリガリにさせたのも自分自身だ。

この仕事は、その悪魔を育て、一緒に死ぬまで歩んでくことである。
その覚悟が必要な仕事です。きっぱりそう話している。いなくなる同世代もいっぱいいた。大変な仕事だと言いすぎた罪もあるかもしれない。
しかし、何かを生み出すことは大変だ。きれいに見せて苦労させて潰すなんてことの方が罪深い。

だから、僕は今ではこう思う。
自分という悪魔と踊るのは、たいそう大変だけれど
生きてるって言葉のど真ん中で踊っている、と。


いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。