見出し画像

技術やTIPS、ハウツーを定着化させる根本的な方法

仕事を効率的に処理するとか、自分らしい暮らしを実現するとか、人生はいろいろ忙しい。そして千差万別のその人らしさという性格というか、魂みたいなものがある。方法やTIPSは「アクションのサジェスト」であって、やってみることも容易だし、なんか効果ある感じがある。が大抵の場合、翌週には忘れている。針の穴を通すほどのレアさで一部が習慣化され効果を発揮する。

僕もこれまでに主に業務や睡眠習慣とかでいろいろ試したりしたものだが100トライして2-3残れば良いもので過ぎ去っていった97、8ものトライの詳細すら思い出すことが難しい。もっと自分に取り込めたものもあるのかもしれない。どうしてこれほど取りこぼすのか。その構造を考えた。

結論からいうと「どう在りたいか」の定義が曖昧だと自分というザルの目からこぼれ落ちる、ということだ。このどう在りたいかを考える時間が極めて少ない。なんでかというと1人でいる時間が減っているから。多忙だったり、手持ちのスマホだったり、タブレットだったり。圧倒的に個の時間を奪い去っていく。まずはこの「個の時間」を取り戻し、自分のための思考する時間を取り戻す必要がある。

おそらく10年、20年たったときに私たちがスマホのSNSとかに投じてきた時間を見返すことができるだろう。今でもスマホでこの1週間くらいの時間は確認できるはずだ。そして、その時間を極端にいうと全て思考に投じればものすごい数の哲学者がこの世界に誕生したのかもしれない。世界の便利が、これらの可能性を駆逐していったといっちゃてもいいかもしれない。

「どう在りたいか」を定義するための前提条件「個の時間」もしくは「孤の時間」を簡単に獲得する方法がある。

それは「夜のお散歩」だ。スマホも置いて、小銭くらいポッケに入れて誰もいない夜を歩く。無目的に黙々と歩く。歩き出すときにテーマをもうけてもいいし、何も決めずに出ても良い。僕はよく事務所から家まで歩いて帰る。まっすぐいけば15分でつくところを無駄に遠回りして30分いじょうかけることもある。もちろんスマホはナイトモードで誰の通知も届かない。

家に言えれば家族のことや将来のお金のこと。
会社にいれば目の前のタスクや、プロジェクトのこと。
どこにも自分の隙間なんてないのだ。なので無理くりこじ開ける必要がある。それが夜の散歩の時間だ。

別に毎日じゃなくても良い。1週間に一回自分のために歩く。
意外と自分のことを考える時間というのは少ないのだ。自分を大切にできるのも育てれるのも自分自身しかいないというのに。

歩いてる時間、自分のあり方を考える。今がどうで、今後どうなっていきたいのか。仕事でも良いし家庭でも良い、どちらも自分だ。その奥底にある「こう在りたい」の解像度をどんどんあげいく。

最近も考えたくって歩いていた。僕や僕が作る環境をどうしていきたいのか。金稼ぎのためではないなと明確に思えた。同時に持続するためのお金も大事だとも思った。良い矛盾。この葛藤は続くのだろう。でも、何より「僕がいる場所には挑戦があってほしい」という渇望を見つけた。

僕がいるプロジェクトは全て新しい挑戦であってほしいし、周りにいる人も挑戦者であってほしい。それを応援もするし、互助するし、苦労も買ってでもして良いと思う。自分や仲間の想像で描いた未来に自分がいることが自分にとっての幸せなのだなと思う。

これが最近の僕の在り方だ。この定義をもって、これを実現するための方法やTIPSを実践すると血肉化していく。この最初の定義を自分自身でしっかり定義することが何より大切なのだ。

お金の本がたくさんでている。それを読んで知識を得られる。
しかし、大切なのは「なんのためにお金を貯めるのか」の定義である。
どんな暮らしをしたいのか、何を買いたいのか、それらを得た自分はどうなるのか。この定義を曖昧にしたまま知識を入れても、それは自分のざるの目からこぼれ落ちていくだけなのだ。


いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。