40歳手前のクリエイティブに対する姿勢
年々、仕事の内容が変わる。冷静に考えると不思議なことだ。定まらないとも言えるし、成長しているともとれる。自分で会社をやるようになった10年前からずっとこの感じだ。常に変化し続けている自分を感じる。
むかし、僕は広告を作っていた。3ヶ月か長くて半年の寿命の表現と話題を作り続けて、それはそれで楽しかった。誰もがひた隠しにしていた本当のことを言っちゃおうよ、みたいなクリエイティブってそういう性質があって、常に芯を食うスタンスの人たちが多い。世界の秘密を暴きたがっているんだって今でも思っている。
基本姿勢は変わらないのだけれど、その少し前のめりな姿勢で生きていると気づけば広告の世界にはいなくなっていた。広告、好きだったんだけどなと思う反面、広告が本当のことをどんどん言えなくなる場に変わって行ったのだとも今だから思えることかもしれない。
今僕は誰もが知る企業たちの新しい一手をになっている。僕が住んだことのない街の未来をになっている。これらに関わる人たちの未来もになっている。すごいな、松倉と言って欲しいわけじゃない。つくるってこういうことなんだよなと思わない?が正しい。
人類最大のクリエイションは子供を生み、育てることだと思っている。
それは恐ろしくピュアでハードコアで、それでいてエモーショナルだ。うちは2人の子供がいて、生み出してくれたのは妻だし、僕は隣でソワソワしているしかなかった。正直、俺何もできないんだなと無力さを痛感したりもした。妻へのリスペクトがもちろん優っている。
何だかこの10年、子供が生まれ育つことに出来るだけ近づけないかと考えていた。カンヌや世界のデザイン賞で見られる秀逸なクリエイションもさることながら、子供を生み育てることのプリミティブな強さというものが圧倒的に優っていると感じていたからだ。
果たして、この10年でどこまでそこに歩み寄れたのかはわからない。
我が子たちは11歳と9歳になった。もう意思も価値観もある。対等な立ち位置で対話をしたり、普通に僕が怒られたりもする。
これからどんどん自立していくのだなと感じるし、どんどん僕は子供たちを育てるということから離れていくのだと思う。もう勝手に育つし、勝手に出会う。父親以上に影響を受ける機会もあるだろうし、思い悩み自分で決断することだって当たり前にあるのだ。
そのとき、この世界の小さな町で何かを生み出したり作り出したり表現する1人の人間として、より一層「生み出すこと」への意味と葛藤と難しさを考えている。それなりにいろいろできる、商売もしている。それでも死際に、お前は何を生み出した、何を変えた、お前の意味は?と問われた時に子供たちがいることに加えて、しっかり自分がいたという傷跡を残したい。
なんだか若い人たちが抱くような価値観ではあるかもしれないが、40歳を手前にして強くそれを感じるようになっている。妻が子供を産んでくれた奇跡みたいなクリエイティブには一生叶わないのだと思う。しかし、それを手放しで叶わないからと切り捨てるのではなく、いかにそこに近づけるかということを諦めたくない。
否定をすることは肯定をすることより容易だ。これはプランナーとして、さまざまなWSで口酸っぱく伝えてきたことだ。否定は断絶で、しかも切り捨てることは繋ぎ止めることより簡単なのだ。この世界のルールを見誤りたくない。楽な方ではなく、繋ぎ止める方にいたい。
様々な物事はいいこともわるいことも混ざり合っている。
評価する時に否定の感情がでようものなら、僕は肯定の道筋を探る。この行為をほとんどの場合、(否定をしている瞬間に)閉ざしているのだ。しかし、この世界がよりよくなっていくには些細なことであるがつなぎとめておくこと、一瞬の輝きをしっかりと言語化することといった一見めんどうで遠回りな行為を大切にする必要がある。
諦めるのも否定するのも簡単だ。
しかし、それで見落とした針の穴を通すような奇跡の可能性を探る行為をやめてはいけない。まずもってリスペクトしている子供を生み出すという最大のクリエイションは、あなたやパートナーが奇跡のような確率で出会い、生み出された結晶だ。
世界のある多くの否定や批判は、この人類が持っている奇跡の否定にもつながってしまう。なので忘れられない子供を生むという尊敬と畏怖とこんな奇跡どうやって起こすんだよという感情を忘れてはいけないし、超えることは難しいかもしれないけれど、自分なりに近づける方法を永遠に諦めてはいけない。
そんなことを4日連続飲み続けた20時に思うのでした。
諦めず、ダサくても、つなぎとめたいなと思う。
PexelsのLisa Fotiosによる写真
いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。