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宙ぶらりんな時間を木陰で考える

事務所の空気はひんやりとしている。説明が難しいのだが屋根が二段構造になっており、この時期の厳しい日差しはほぼ届かない。その代わり、ちょうど良い暖かい風が吹き抜ける。クーラーはまだ一度もつけていない。

そういえば、梅雨きたっけ?

春をすっ飛ばして急に夏がきたもので梅雨がまだかすぎたかも曖昧になっている。まだやわぁ、今やっと沖縄。そういって冷えたアイスラテが喉を潤す。ぬらっと生暖かい風が吹いて少しだけ梅雨の顔が感じられる。

ひとまず屋外に出ればサングラスが必要なほどの強い光に目が痛くなる。目の色素が薄いから人より光に敏感なんだよってどこかの飲み屋で誰かに言われた記憶があるけど、あれは本当かな。黒い服だと暑くなるのだとしたら、逆に色素薄い方がダメージ少ないんじゃないかなと、どうでもいいことを考えながら街中を歩く。

僕のマスクは何度も洗えるからという理由だけで買った分厚めのもの。もうこの時期につけていたら熱中症まっしぐらな素材だ。もっとこう軽やかに空気の出入りがいいものがあればいいのに…あったとしてもそれは売り切れだろうし、果たしてそれはマスクの意味があるのかは怪しい。

実はここ数年ほとんど使ってなかったセロハンテープが実は事務所似なかったことに気づいて買い足しに歩く。書店とセットの文房具コーナーは本優先でこじんまりしており、選択の余地は皆無だ。なんでもってそこまで良い感じのものを探しているのか、途中から迷走してきて、貼れれば良いのだと適当に買う。いくつかの気になる本を買い事務所へ戻る。

ありがたいことに忙しい、忙しいからと言ってイコール儲かってるわけではない。貧乏暇なしというほど貧乏ではないが、いろいろと新しいことが多い。いつもだとこの時期なんて暑さから逃げるように、仕事から逃げるように、スケジュールはかなりスカスカで平和なものだ。赤字を垂れ流し秋ごろの仕事で頑張ろうなんていう腑抜けた経営をひとりでしていたが社員がふえてからぐっと背筋を伸ばしている感じがある。いいのかわるいのか。答え合わせはもう少し先でいいかなと思いながら日々を暮らしている。

まもなく37歳になる。35歳だったか、36歳だったか、もうわかんなくなってきたわっていうと友達から37歳やろうと冷静に言われる。さすが同い年。そして、これがアラフォーかと1人でざわざわする。この前までアラサーだのなんだのいうてた自分がもう40代の自分の背中が見えているのだ。アラサーほどの焦りは不思議とない。なんとなく、この歩いている道が正しいような実感がある。大人になったのだなと思う。

20代の頃は出来ないことだらけだった。
それを反省する余裕がないほどに必死にいろいろやっていた。
30代も出来ないことだらけだった。20代よりもっと出来ないことが増えて不安にもなった。
まもなく40代が見えてくる。達観などしないのだなと気づいた。ずっと人は完璧じゃないし完成じゃない。欲しいものを手に入れたらもっと上位互換の飴ちゃんみたいなものが見えてくるのだ。終わりがないんだろう、終わりがあると人生が終わるのかもしれない。よく出来ているなと思う。

久しく日記を買いてないことに気づいた。仕事のことや新しいことがひしめき合っていて、日常というものがもう全て非日常のようになっている。これはいいことだなと思う。今日を振り返るために、お薬のように日記を書いていた。それは不安を紛らわすことの一つだったのだろう。今は不安を感じる余裕がない。こうやって人はいっぱいいっぱいになって成長していくのかもな。そうでないと絶望するよ。

残念なことに、これから梅雨がくる。
さらに残念なことに今年はこのような状況につき社員旅行にもいけない。
何もしないでブラブラ知らない街を仲間と歩く時間がない。これは人生の損失だと思う。それに代わる何か仕事でもない、暮らしでもない、宙ぶらりんな時間をなんとかつくれないものか木陰でずっと考えている。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。