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最初に踊りだす大切さ

京都は恵まれている。
岡山、高松、東かがわ、淡路島と一泊二日で瀬戸内海を西回りにぐるっと一周し、京都に戻ってお疲れのビールを交わして思ったこと。

様々なローカルには、ポテンシャルがスコア化できるのではないかと車中で話す。人口分布、立地条件、そして、文脈の濃さ。僕は最後の文脈からコンセプトを叩き出すことを得意としているプレイヤーであるが、この3つの要素は僕がどうにかできるものではなく歴史と時間が備えていくものである。

例えば、東京に新しいプロジェクトの開発を、という依頼を受けた時に東京は僕の住む京都に比べ文脈スコアが低くなる。HOTEL ANTEROOM KYOTOや崇仁新町というプロジェクトはまさにこれまでの文脈を合気道的にポジティブにぶん投げるものだったりする。だからこそギャップが生まれて話題を呼ぶ。しかし、東京で…となるとそれが効かない。ゼロではないが文脈の濃淡が薄くなってしまってギャップが産みにくい。ニュアンスわかるだろうか。飲み会ではすごい静かなやつがカラオケに行くと馬鹿騒ぎするようなギャップ。この差分を「愛嬌」と考えている。

様々な有形・無形なものには「愛嬌」が必要だと考えている。本来持っていた愛嬌を綺麗に整えてわかりやすく見やすい状態に整えてあげることが僕の仕事だったりする。そういう意味で京都は人口も200万人おり、アクセスもよく、なんなら確実に毎年大量の旅行客がくる。その上最強なのが文脈である。圧倒的な歴史が育んだ強烈な文脈がある。

僕らは視察で岡山の備前焼で有名な備前や、香川では高松、東かがわ市を視察した。岡山の備前では備前焼が先行して降り立ったものの、ものすごい工場地帯であり、海辺も工場で埋め尽くされていた。僕らが訪れた市で3万人の人口。しかし都市機能としては、ほとんどの住民が工場で働く人々であり、瀬戸内海の風景も工場地帯で覆われている。多くのローカルは、都市計画以前に生きてくための仕事を優先するものだし、その結果本来持っているであろう自然の資産をロストすることになる。しかし、これはしかたがない。開発を進める当時、今のような時代のビジョンがあったとしたら驚きである。住民の総意や無意識の判断や選択で都市が形成されるのだと痛感した。そこにはビジョンではなく日々生きて行く中での判断の蓄積である。僕も住民であれば同じ選択をしているであろう風景を目の当たりにする。

車を走らせ、高松へ行き着くと発展した駅前の風景の割に人が少ない。福岡と同じように駅としてはそこにあるが街の中枢は少しだけ(大抵徒歩30分程度の距離)にあるのだろうと、うどんをすすりながら語る。ここで感じたのは、人口100万人、立地条件も申し分なし、しかし文脈が弱い。カルチャーは都市のスタイルをうむ。京都と常に比較していたのだけど、京都は伝統的な歴史や工芸といった文脈と、京都大学筆頭にサブカルというか、いい意味でユースカルチャー的な少し外れた生き方を許容する文化がある。そういった、街のスタイルがあまり感じられなかった。これが福岡に行くと街のスタイルをビシビシ感じるわけで様々な物理的条件の土台となる文化や都市の性格というもののつかみにくさを感じた。

そこからぶらっと東かがわへ向かうと急に個性がます。
岡山の備前と同じで人口は3万人ほど。手袋の産地としての手工業の強烈な土台があり、スナックが無数に点在する。集まる人も個性が強く自分から何かを立ち上げる個の強さを持っている。しかし、高齢化が続き空き家問題とぶつかりながらも、海と山と自然が豊かであり、コミュニティも知ってる顔ぶれが身近にいる。ここは人口が少なく、物理的な立地の難易度がある。その代わり、地がもつ文脈は個性豊かで力強い。岡山とも高松とも違うポテンシャルがある。

そこから東へ移動し、淡路島をぶらぶらとドライブ視察。
人口は14万人。立地もよい。関西圏から1時間程度でアクセス可能である。同時に周辺を海に囲われ、山も森もあり、農作物が豊富。魚介もある。武器が多い。文脈まで詰める時間がなかったのが残念だが、景観の良さも含めて多くの資産を持つ。そして食料自給率は100%を超え、いつでも独立可能な個性も魅力的だ。

そして、京都に戻ると、あれ、ここ全部ある。と驚く。
東日本、西日本の中心にあり、来訪も多く、日本でいちばんの文脈を持つ。
これまで見てきた土地から京都をみると、ここはイージーモード。独特の難しさはあるものの全て地の利が芳醇で、むしろこの場所で商売が難しいとなるとしたら同業の競争程度。そもそも人がおらず、場所も辺鄙で文脈もない場所で活気を産んでかないと、人を呼び込まないと!という難しさと全然難易度が違う。

関西から最短距離で2時間半かかる工程に意味をつけなければいけない。
空き家が目立つ街並みを変えなければいけない。
価値を見出せない場所に価値を生まなければいけない。
そこの場所で生きる人にとっては、暮らしや仕事の目の前の風景であるその場所で戦っていけないといけない。

僕は日本中ぶらぶらと呼ばれればどこへでもいき、第三者的に価値を見出し何かを起こす。一所不定で独自の視点で価値を見出し、それを翻訳すればいい。しかし、そもそもそれを見出すことすら難しい場所をどうしてきたか。僕はここは難しいねの一言で済ませている。しかし、どうしようもない。僕の力やアイデアで変えれるほど、簡単ではないと痛感する。

僕は恵まれた土地でいいきっかけをもらい、いい結果を残せたに過ぎない。
イージーモードで試合に勝ち続け、すごいやんって言われたに過ぎない。
これは何の意味もない。ふと、豊岡の豊劇を思い出した。潰れた映画化感を復活させ、バーを作り、人の拠り所を作っている。集まった人の出会いが新しい何かをうみ、コミュニティが形成される。

僕らが計画すべきは、その1点。一つ灯した火を集まる人がさらにくべて大きくして行くこと。その火を別の場所へ灯すこと。その小さな種火をかつて未来を想像して選択することができなかった時代を経て、未来を見て種火を作ることが問われている。

日本の人口は減少し、都心に人は集中し、空き家は増え続け、若者は帰ってこない未来に、どういった火を灯すべきか。それは壮大な都市計画でもなく何十億とかけた地域の施設でもなく、誰かが最初に何もなかった荒野で楽しげに踊り出すことなのかもしれない。何に夢中になり踊りだすか。これってやばいよね超面白いよ遊ぼうよっていう小学生的な、根源的なものを見出して騒ぎだすことなのかもしれない。

たった一人でも、ちょっとこれ超おもしいよって一人ずつ火をくべて広げていく。誰でもできる地味な本音が、実は街を作るのかもしれない。
色々考えさせられるリサーチな一泊二日。日本というこの島の未来は、本当に僕たちが考えていかなければいけない。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。