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23歳になった

私は冬が好きだ。
大人になるにつれ肌が乾燥するようになって少しイヤだけど、温かい紅茶が身に沁みるこの季節はやっぱり心が落ち着く。
それに、クリスマスと正月を過ぎればすぐに私の誕生日がやってくる。世間の賑やかなお祭りごとに便乗して、プレゼントを一気に貰える(実際はそんなことなくても)気がして、思いっきり欲張りになっても自分を許せる、そんな時期でもある。

今年は、23歳になった。週の真ん中だったので有休をとるのは諦めたけど、母が駅前のお洒落なお店でケーキを買ってきてくれたので食べた。私がリクエストした薄桃色の花が2つ載った、可愛らしい盛り付け。寝る前には、ずっと前からこの日に聴く!と決めていた、IUの「二十三」をひとりで聴いた。久しぶりにMVも見た。23歳って想像していたよりずっと弾(はじ)けてていいんだな~なんて思いながら。

なんだか不思議だ。推してるアイドルが最近26になった時はまだまだ若いね!!!って言ってたのに、自分が23歳になると、ああ私も歳を食ったな(トホホ)なんて感じてしまう。そりゃあ近所の小学生みたいにそこらじゅう走り回るのはさすがに躊躇するけど、ついこないだも職場の先輩たちに「○○さんは別格よ(年齢が)」と言われたばかり。ファンデは塗らなくていいと思って生活しているし、遅れて数日前の疲れがやってくることもない。やはり、23なんて全然若いんだろうなとは思う。

話は変わるけど、最近思い出したことがある。
私はいろんな文章を書きたいみたいだ。

年末年始のToDoリストのひとつ、「noteを整理する」を無事叶えられたのだけど、その過程で、自分の表現の幅が意外と広いんだと知れた。そして、それは自分の精神状態や環境からかなり影響を受けているっていうことも。

推しに会った日の夜は、普段の私を知っている人なら誰でもドン引きしそうな熱量で推しへの愛と感謝を伝えたくなる。
仕事や人間関係で嫌なことがあると、その日の感情を感性的な詩やエッセイにして自分をコントロールする。
好きな音楽や映画に出会うと、その良さを誰かに伝えたい気持ちと自分の中で独占したい気持ちで揺れ動きながらも、どうにかして言語化する。無意識のうちに、その日触れた作品のキャラクターに似た言葉遣いをしていることもあって、読み返すと面白い。実は今も、さっき読んだエッセイのエネルギーを糧にして書いているから、きっと文章が似ている、ような気がする。

文章は、いろんな「私」の存在を許してあげられるものだと思う。
こんな人になりたい!というひとつの理想になれない私もいる。
変わりたいと願うのに結局同じ考え方ばかりでチャンスを掴めない私もいる。
確かなのは、私って決してひとつじゃなくて、多様で多面的なんだっていうことで、それを自分に証明して認めてあげる手段(この言葉はあまり使いたくないけど…)のようなものが、私にとっては文章だっていうことだ。
いろんな言葉遣いで、いろんな物事について、時にはいつもと反対の意見だって持っているから、いろんな話をする。
口にしなくてもいいじゃない。誰かにわかってもらえなくても大丈夫。
そんな風に、背中を押してあげたい。これからも。

ほら、こんな文章も書けるようになった。

23歳は、どんな年になるだろう。

私は、これからどんな年にしていくかな。

「人生って、バランスをとっていくものだよね」って、推しが言ってたけど、本当にそうだなって思うようになったよ。

年をとるのも23回目になると、だいぶん変わってくるものだね。

これからも、気持ちや目的が幾度となく変わっていくだろうけど、変わらずこうやって書いていけたらいいな。

表舞台では大人ぶって言えない小言も、小さすぎて話す勇気が出ない悩み事も、後で振り返るのが恥ずかしいくらい眩しい誰かへのアドバイスも、ここでは気楽な気持ちを持って外の世界に出せたらいいな。

ケーキの蝋燭をそーっと吹くくらいの力加減で、私の中から飛んでいけたら。私の想いや記憶たちがどこかの誰かに届いてスーハーと息をするような、素敵なことがいつか起こればいいな。

23歳も、私を私らしく生きる。




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