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【就活】時すでに4年生の12月。追い込まれても辞退した企業(前編)

私は大学4年生の12月に内定を辞退しました。
今までの記事でも触れてきているこの企業のことを詳しくお話しようと思います。

正直まだ心の整理が全てついたわけではありません。
ですが、この時期だからこそ記事を書くことで就活をする誰かに響く何かがあるかもしれないと思って決心しました。
少し重いかもしれませんが、読んでいただけるとありがたいです。

(企業を悪く言うつもりはありません。私の主観によるもののため、悪い印象を与えてしまったら申し訳ありません。)

企業との出会い

私は内定は持っていたものの、納得が出来ずに就活を続けていました。
企業に出会ったのは9月に入ってからです。
ハローワークで見つけてすぐに連絡し、見学に行きました。

見学では社長に対応していただきました。
仕事を見せると言われ車に乗って色々なところを回りました。

そこでなぜ企業に興味を持ったのかを聞かれました。

「私は東日本大震災を経験してから、ずっと福島のために働きたいと思っていました。でも、なかなか納得できなくて就活を続けていたときに、御社を見つけて興味を持ちました。」と話しました。

すると、社長は驚いた様子で「そういう子に会えると思ってた」と言いました。

聞けば、応募してくる方は安定、事務職という言葉に反応しているだけの人や、県外の人ばかりだったそうです。
社長は福島県出身で福島の事を想っている人を探しており、それに私がぴったりとあてはまりました。

「うちの採用受けな」と言われ、私はすぐに受けようと決めました。
私の想いを理解してくれて、事業内容もとても面白そう。
”理想通りだ”と私はすごく嬉しくなりました。

選考

選考内容はなかなか珍しいものでした。
・課題図書2冊読んでレポートを提出(後に4冊追加)
・自分を植物に例えて絵を描く
・部下がミスをした時の自分の対応を絵に描く(←これが難問だった)
あとは、面接や適性検査、パワポ作成など全部で1ヶ月くらいかかりました。

そして、無事に内定をいただきました。
理想通りの会社に就職が決まり、とても嬉しかったです。
自分も家族も教授達も一安心でした。

インターン

内定後に仕事理解のためにインターンと課題に取り組みました。
インターンは空いている日だけという約束。
まだ学生で卒論が優先のため、週2.3回くらい行ければいいなと考えていました。

そして、インターン開始。
記憶に強く残っていることから抜粋してお話します。

<いきなり二宮金次郎>ーワクワク!ー
インターンの帰り際ふいにポンッと「二宮金次郎の一生」という本を渡されました。「レポート書いてきてね」と一言。ざっと500ページはあったと思います。
難しい内容でしたが、地域創生について理解することができ、とても面白かったです。

<荷物運び>ーワク…ー
「荷物を運んで置いて欲しい」と言われ了承。
荷物を見てみると総量500kgありました。そして、一人。
「地道にやればいつか終わるでしょ!」そう思って運びました。

すごーーーーーーーーーく大変でした。
合計5時間以上&100往復以上ですっかり夜。
体はもうバッキバキでヨロヨロです。
でも、この作業をすることで誰かの役に立つと信じてなんとか運びきりました。

そして、社長から「ありがとう。でももっと効率よく運べたでしょ」と一言。ちょっと悲しくなりました。

<朝起きたら大量通知>ーワクワクー
朝起きたら11冊の本のURLとともに、「これ購入してレポートね」のメッセージ。思わず笑ってしまいました。
でも、本を読むのは好きです。抵抗はありませんでした。
文章を書くのも苦ではありません。
(その他にも突然動画、画像が送られてきて、レポートを書いていました)

社長から「文章書くの上手いね」と一言。嬉しくなりました笑

<いきなりの運転>ーえ、、、ー
出張に同行する日。「今日運転お願いできる?すぼみさんの車で行くから」
私は戸惑いました。一時間以上かかる場所で高速が必須。
私はそのとき高速に乗った経験が1回しかなく、全く知らない土地を運転することがとても怖かったです。

また、もし事故が起きたら誰が保証するんだ?その辺考えているのかな?と疑問に感じました。
当然企業が保証するなんて契約はありません。

でも、無事運転出来ました。意外と運転上手いのかもしれません。

<お金の話>ー、、、ー
就職してからの給料は多くはありませんでした。
でも、特に文句はありません。充分暮らしていける額ではありました。
残業が多いのに残業代は出ないということに疑問がありましたけど。

そして、何気なくお金に関しての話をしました。
「この仕事は本当に忙しい。だから、お金を使う暇もないからこの額でも結構貯まるよ」
ーん?そーゆーもんなの?
「日本には社会制度がある。生活に困ったら国が助けてくれるよ」
ー雇用主が国とかいう?生活はあなたが保証するものじゃないの?

でも、そういうものなのかと納得してしまいました。
この時、「人の縁で生きる」という教えを本やお話で学んでいた私はすんなり納得ができていました。
そのため、インターン期間中の無給、交通費さえもない状況も疑えませんでした。

壊れ始める

頭では全然疑っておらず、インターンにやりがいがありました。
しかし、心と体は限界でした。
肌が荒れ始め、頭皮に湿疹。雰囲気がまるで変わって、見るからに元気がない。

この状態を自分自身の管理ミスと考えていました。
「なれればきっと大丈夫。最初はこんなもん」と言い聞かせていました。

インターンでの拘束時間は長く一日中の時もありました。
そもそも、スケジュールが送られてこないため、行ってみてわかるというのがほとんどでした。
(もちろん日程を教えて欲しいといいましたが、返ってきませんでした。)
その他にも、自宅でやる用の仕事、レポート、動画200本以上に新聞読み、そして卒論。ガソリン代を稼ぐために休日はアルバイト。

大丈夫大丈夫。全然出来る範囲だ。

→後半へ続く

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