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【疑問】過去を書き比べて思ったこと

この2日間、私の感謝しながらもトラウマな過去を書き比べていました。
1つはネガティブに、1つはポジティブに。

理由は過去の捉え方を考えたかったからです。
でも、書き比べて考えたことがあったので、共有します。

どっちにもなれる

書くときの違いとしては、ネガティブの時は辛かったことを多めに書き、ポジティブの時は成果、得たものを多く書くように心がけていました。

自己満足の書き分けたレベルのため、稚拙なものではあります。
その中でも、印象の違いが多少は出せたかなと思います。

書いてみた感想としては、「自分がいっぱいいる」です
ネガティブに書こうと思うと自分を少しでも可哀そうに、辛そうに見せようとして、ポジティブに書こうと思うと前向きに、強そうに見せようと無意識に考えていました。

どちらの自分も自分の中にいると思います。
どちらも書きやすく、スラスラと言葉が出てきましたから。

私は過去を生かしてどっちの自分にもなれそうです。
ネガティブにもポジティブにも。

どんな自分になりたいのか

一般的にはポジティブな自分でいた方がいいのかなと思います。
「ネガティブでいなさい」なんて言われたことありませんから。

じゃあ、ポジティブでいるかと言われたら無理です。疲れそう。

どちらもスラスラ書けたのならどっちの自分でもいいやと思います。
感情達には出てきたいときに出てきて欲しいです。

何かの言葉で自分を表そうとするのもなんか違いますし。
無理に当てはめようとすると、あてはめた自分になろうと頑張ってしまいます。
それは自分じゃない。

自分の中には色々な自分がいるみたいなので、その時の自分に任せます。
最近、電王見た影響かもしれませんがイメージが付きやすい。

最後に

2つの記事のタイトルは「過去を食べる」でした。

過去を前向きに食べるか、腫物として食べるかによって、自分を構成する成分には違いがありそうです。

自分の過去を食べて、自分を作って、未来と闘う。
そんなことをイメージして、食べると言ってみました。

最近、自分を探そうとすればするほど、「なんかいいや」という気持ちになります。いい意味で。

今回、記事を書き比べてみて、色々な自分がいることを知り、「探しきれないな、これ」と笑ってしまいました。
一人の中に何人入っているんでしょうね。
まだ、別なバージョンでも書けそうです。

自分を探すために手にとる本はいつも同じジャンル。
自分を見つめなおすために思い出す過去はいつも同じ光景。
同じ言葉でも好きな人の言葉が一番響く。

わかっていると思います。
自分が好きなものというのは。

外部に自分を求めて無作為に探すのではなく、自分がたどってきた過去にこそ自分が見えてくると思います。

自分のトラウマ、得たもの、理解したもの。
書き比べでなんか自分のことがまた一歩わかったような気がします。

あと、辛かったことを辛いことのように話す必要が無いってこともわかりました。

読んでいただき、ありがとうございました。

<書き比べ記事>

おまけでちょっと書いておきたい

私はいまだに過去の夢を見ます。
怒られたこと、嫌だったこと、緊張したこと。

いじめられたとはいいませんが、当時関わっていた人の顔ははっきり覚えています。

「過去を恨んでも仕方がない。前を向かないと」
「追い詰めた人を憎んでも時間の無駄」

こんな言葉がありますが、半分正しくて、半分間違いだと思います。

確かに、過去を恨んでも、人を憎んでも変えることはできません。
時間の無駄だと思います。

でも、その時に明らかに考え方、人格は変えられています。
全く人を信用せずに、言う通りにすればいいということが染みついていました。
その当時の人が苦しむ姿を見たら、喜べる自信もあります。
そんな曲がった考えを心の隅に置きながら、人生半分過ごしています。

「過去を恨んでも仕方がない」と言われても、例えその出来事が一瞬のような時間でも、その後に及ぼす影響が大きすぎる。
無責任に「忘れな」と言う人はどれだけ見て見ぬふりをしてきたのでしょうね。

そんな逃げたくなる過去と向き合って強くなりたい。優しくなりたい。
未来、今、過去、全てに向き合うことは大変かもしれないけど、揺るがない勇気になると思う。

頑張れ。

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