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坂本龍一さんの不在について

2023年3月、坂本龍一さんの訃報を聞いてから5ヶ月が経とうとしている。この5ヶ月間、坂本龍一さんの不在が自分の中に大きな欠落というか、喪失を生じ続けていることに自分でもとても驚いている。彼の音楽を好んで聴いていた方ではあるけれど決して「ファンでした」と胸をはって言えるほどでもない自分の中に、なぜこんなに大きく、深い穴があいたのか。

また自分にとってこの訃報は「寝耳に水」「青天の霹靂」というほどに驚くべきニュースではなかった。2度目の癌に侵されていて闘病中なのは知っていたし、2022年12月に配信コンサートを行い、その様子がNHKで放送されたのを観て、随分痩せてしまったなあなどと思いながらその力強いピアノの音色に感動もした。年齢のことも考えるとこれから10年20年と彼の音楽を聴くことは難しいのかもしれないと、心の何処かで感じてもいたと思う。

それでも、訃報に接して私は思った以上に狼狽し、取り乱した。心がかき乱されてその時に開いた大きな穴を未だ塞ぐことも埋めることもできずにいる。彼のツイッターアカウントやインスタグラムをフォローし、「坂本龍一」というキーワードで自動録画予約をして様々な再放送番組や特集を録画しているが、観ることが出来ない。

そんな中、2009年に発行された「musik macht frei 音楽は自由にする」という彼の自伝的な本を読んだ。この穴の正体がわかるかと思って。

結論から言うと、穴の正体は本を読んでもわからなかった。人間臭い坂本龍一を少しだけ覗き見た感じがしたけれど、同じ世界にというか同じ日本に、同じ東京に、2023年3月まで生きていたんだということがなんとなく不思議な感じがした。元気な頃の坂本龍一という人は日本から遠く離れたニューヨークで世界を相手に音楽活動をしていて、それは日本人として誇りでもあるけれど同時に随分遠いところに行ってしまった、雲の上の人という感じもあった。そんな人が病気と闘うために、日本、東京に最後に戻ってきていたのだった。なんとなく日本で亡くなったことも不思議な感じがするくらい、世界の坂本というイメージだった。でも本を読んで、この人は憎たらしいくらい日本人的な人だなとも思った。彼の父親は日本でも有数の敏腕編集者で、仕事漬けでほとんど家にいなかったと書いてあったけれど、彼もその影響を間違いなく強く受けていた。父親というのはその不在さえも子に影響を与えるものなんだなと思う。

読んでみて、生きている彼と話してみたかったなと思う。もちろん彼にとって私なんかではつまらないし話し相手にもならないと思うけど、でもなんとなく、それでも結構話がはずむのではと思ってみたりする。自分のことも話して、そして何より彼の生の話を聞きたかった。彼の中にあるとんでもない偏見も、また逆にすごくフラットなところも、どちらも魅力的だ。
もちろん、私たちが感じ取るべきことは、聴くべきことは彼の残した音楽の中に全てあるのだろう。でも彼の音楽とはまた別にして彼の言葉にすごく興味を持った。晩年の彼は神宮外苑の再開発問題や原発、環境問題などについてある程度積極的に発言や活動をしていて、それを音楽家としての彼の地位や評価を貶めるものと感じた人々も一定数いたようだけれど、彼が音楽以外でも、言葉でも、行動でも、世の中に対してアクションを起こすことを選んだのは、私にとっては喜ばしいことだった。

例えば音楽とか、絵とか、そういった、言葉ではない表現手段に秀でていたら、言葉よりも雄弁に表現することができたら、その人はその手段を選ぶのが当然なのだろうか。私はそんな人があえて言葉で語ることはどんなことなんだろう、ということに興味を持たずにいられない。どんなことでも、音楽でもって言葉より雄弁に語ることができる人が、それでも言葉で語ることは、どんなことなのだろう。それはその人にとってどのような意味を持つのだろうか。

本は編集者(聴き手)に対して坂本龍一さんが自分語りをする、というスタイルで綴られていた。だから読んでいると、坂本さんが自分に向かって話しているのを聞いているような感覚になる。なんにせよ二人の間には随分親密な空気があるように感じられた。私はそれをとても羨ましく思った。人生において、大きな才能を持つ人とそのような親密な距離感で触れ合うことができるというのは、どんなに幸せなことだろう。

私はピアノという楽器が好きで、自分でも習って弾いたりするけれど、とにかくピアノの音色を聴くことが好きだ。特に坂本龍一さんのピアノの曲が本当に好きだ。好きなピアノ曲はたくさんあるけれど、彼のピアノはとてもなんというか、透明感があって、水の音がする。とても清らかで、涼しげで、透き通っていて、高い音も低い音も濁っていなくて、大きな愛と深い孤独が同居しているように感じる。それは彼本人の中にある、様々な相反する資質や価値観や感情や大いなる矛盾がそのまま表現されているのかもしれないし、そもそも彼だけでなく人間というのはその一人の生命の中に大いなる矛盾を抱えているものなんだと思う。彼のそれが私のそれと深く、強く共鳴して、私はいつも彼のピアノを聴くとなんとも言えない気持ちになる。心が洗われると思う時もあるし、涙が止まらない時もあるし、寂しくてたまらなくなる時もあるし、この上ない幸福を感じる時もある。

この人の弾くピアノがもう聴けないことが、本当に悲しい。本当に寂しい。人間というのは不完全で、いびつだ。坂本龍一という人はそのいびつの極たるところにいるような人に思えるけれどそのひとの奏でる音楽が、こんなに美しいことは、それは本当に素晴らしいことだ。そしてその喪失は本当に、悲しい。

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