湘南ベルマーレ背番号列伝シリーズ(9番編)
あんまりいないであろう購読者の皆さま、少しは湘南ベルマーレというサッカーチームに興味を持っていただけましたかな?笑
本日はセンターフォワードの代名詞ともいえる、背番号9を紹介します!
FW 高田保則(00〜05)
FW 梅田直哉(06〜08)
FW トゥット(09)
FW アドリアーノ(09)
FW リンコン(09)
FW 田原豊(10・11)
FW マセナ(12)
FW キリノ(12・13)
FW ステボ(13)
FW ウェリントン(14)
FW ギマ(15)
FW ブルーノ・セザル(15)
FW キリノ(15・16)
FW ジネイ(16・17)
FW イ・ジョンヒョプ(18)
FW 指宿洋史(19〜)
高田保則(2000〜2005)
初代9番は、ベルマーレアカデミー出身のスピードスター、高田保則。
ベルマーレの黄金期とクラブ存続危機を経験してきた選手のひとりで、ベルマーレ平塚から湘南ベルマーレへと生まれ変わった2000年から背番号9をつけました。
2000年代初頭のベルマーレを支えた"顔"として走り続けた高田は、"ヤス"の愛称で親しまれたチーム屈指の人気選手であり、暗黒時代と呼ばれた時期の象徴的な存在な選手として、今もなお古参サポーターから愛されています。
そんな高田は2005年に入ると出場機会を減らし、シーズン途中に横浜FCへと期限付き移籍。
ベルマーレのその年のシーズン最終戦の相手こそ、ヤスが行っていた横浜FCでした。
試合はベルマーレが勝利を収めるのですが、試合後にヤスは横浜FCのユニフォームを脱ぎ去り、ベルマーレのユニフォームをまとって、アウェイのゴール裏に陣取ったベルマーレサポーターの元へと駆け寄りました。
この光景を当時見た時は、涙が止まりませんでしたね。
湘南の貴公子、としてベルマーレを去った高田は、翌年からザスパ草津でエースとして活躍。
引退後は指導者や解説者としても活動をしており、ちょいちょいベルマーレのイベントにも駆けつけてくれたりしています。
梅田直哉(2006〜2008)
2006年から3シーズンに渡り9番をつけたのは、浦和レッズから加入2年目の梅田直哉。
前年の途中に期限付き移籍で加入し、2トップの位置で大きな存在感を示した梅田は、2006年から完全移籍でベルマーレに加入。
185センチ、85キロの恵まれた体格を活かした迫力あるプレーが武器だった為、前線の大黒柱としての期待がかかりましたが、この年のリーグ戦初ゴールを挙げた直後に相手GKと接触し、膝の大怪我を負って長期離脱してしまうことになります。
翌年の2007年に長いリハビリから復活を果たしたものの、2007・2008シーズンの2年間は負傷の影響で出場機会も少なく、無得点に終わってしまいます。
2008シーズン終了後にベルマーレを退団した梅田はその後、ガイナーレ鳥取やFC岐阜でもプレー。
引退後は指導者へと転身しており、サッカー界の"梅ちゃん先生"として活躍している模様。
トゥット(2009)
2009年に9番をつけたのは、加入2年目のブラジル人FWのトゥット。
前年の途中にベルマーレに加入したトゥットは7試合出場5得点という驚異的な得点力を発揮して、チームの得点源として君臨。
その活躍が認められて2009年に9番をつけることになるのですが、細かい負傷が多く、稼働率の問題があったトゥットは15試合3得点という記録だけを残し、7月にチームを退団します。
アドリアーノ(2009)
トゥットの退団後に9番をつけたのは、ブラジル人FWのアドリアーノ。
当時の強化部長がアマゾン川をイカダで下って見つけてきたという2人の逸材、のうちのひとりとしてベルマーレに加入しますが、わずか1ヶ月余りでブラジルへと帰国。
ある意味で凄い伝説の外人選手となってしまいました。
リンコン(2009)
アドリアーノ退団後すぐにベルマーレに加入したのは、前年にベルマーレを半年足らずで退団したリンコンでした。
(詳しくは7番編を参照ください)
当時の前線には田原豊が居たのでそこまで出場機会は多くありませんでしたが、アウェイで行われたアビスパ福岡戦では終了間際に値千金の勝ち越しゴールを決め、この年の唯一のゴールでありながらチームに勝ち点3をもたらす貴重なゴールとなりました。
田原豊(2010・2011)
2010年から2シーズンに渡って9番をつけたのは、加入2年目の田原豊。
前年の開幕戦2日前にチームに電撃加入し、リーグ戦では41試合に出場して10得点を記録。
日本人離れした体格の良さとフィジカルの強さを活かしたポストプレーと、ベルマーレに来てから身についた献身性の高さでJ1昇格に大きく貢献した田原。
ベルマーレの前線の中心選手としての働きにますます期待がかかりましたが、2010年のJ1リーグでは27試合4得点と大きなインパクトを残せず。
J2リーグでの闘いとなった2011年、開幕当初は故障で出遅れますが、25試合7得点を記録。
しかし、好不調の波が大きく、素行面での問題も出てきた田原は、公式戦終了を待たずしての契約満了が発表され、天皇杯敗退後にベルマーレを退団。
今は何をしているのでしょうかねえ…
マセナ(2012)
2012年に9番をつけたのは、ブラジル人FWのマセナ。
184センチの長身フォワードとして加入しますが、リーグ戦2試合に出場した後、5月に契約解除となって突如チームを去りました。
キリノ(2012・2013)
2012年7月から9番をつけたのは、コンサドーレ札幌から加入したキリノ。
見た目のインパクト抜群なモヒカンヘアを携えたキリノは、J1昇格を目指すチームの切り札として活躍。
17試合出場で7得点を記録し、リーグ戦のラスト2試合では2得点を叩き出して、逆転でのJ1昇格に大きく貢献しました。
2013年のJ1リーグ開幕戦では、横浜F・マリノスを相手に2得点を挙げた"キリノの衝撃"でプチブレイク。
Jリーグ歴代屈指のセンターバックでもある中澤佑二をスピードでぶっちぎったキリノは、少しの間だけ相手守備陣の脅威となりました。
細かい負傷はあったものの、要所で鋭いプレーを披露して調子を取り戻しつつあったキリノでしたが、8月上旬のアウェイ清水エスパルス戦の試合前にUAEのクラブへ期限付き移籍することを急遽発表。
アウェイゲームのスタンドに詰めかけたサポーターに泣きながら挨拶を行って日本を発ちますが、翌年のチームに戻ってくることはなく、結果的には東ティモール国籍を取得して、東南アジア枠でヴァンフォーレ甲府に加入するというまさかのオチをつけてベルマーレを(一旦)去ることになったのです。
ステボ(2013)
キリノの移籍から数日後にベルマーレにやってきて9番をつけたのは、セルビア・マケドニアの二重国籍を持つステボ。
韓国の水原三星ではACL出場も経験していた重量級のボックスストライカーで、チームの得点源としての活躍が期待されましたが、シュート技術の高さは光っていたものの、既にセンターフォワードにはウェリントンが君臨していたことと、日本の気候への慣れなさが影響して、わずか8試合1得点という記録しか残せませんでした。
ウェリントン(2014)
2014年に9番をつけたのは、ベルマーレ加入2年目のウェリントン。
前年に途中加入すると、前線の中心選手として貢献度の高さを示したウェリントンは、そのままベルマーレに残留して、2014年のJ2リーグで勝ち点101を叩き出したJ2史上最強チームのエースとしてその名を轟かせました。
屈強な体格とフィジカルの強さを活かしたポストプレー、ゴール前でのストロングヘッダーっぷりを豪快に見せつけたウェリントンは、リーグ戦で得点ランキング2位となる20得点を挙げるなど、そのパフォーマンスはベルマーレ歴代最強のセンターフォワードと言っても過言ではない出来でした。
しかし、2014年のオフに行われた契約更改の際、金銭交渉がまとまらずにウェリントンはそのままベルマーレを退団して、ブラジルへと帰国。
その半年後、アビスパ福岡に加入したウェリントンは、チームをJ1昇格に引き上げる活躍を見せました。
ギマ(2015)
チーム始動後に加入が決まった身長194センチのポルトガル人FW。
しかし、正式契約締結前のメディカルチェックで膝の負傷が確認され、ベルマーレ加入の話はナシ。
アドリアーノ、ネネ、エデル(アドリアーノ以外の2人は後々登場予定)に匹敵する、ネタ外人助っ人選手の枠にハマってしまったギマ。
この一件以来、外国人選手が加入するとなると、「いいか、絶対にギマる(メディカルチェックで引っかかる)なよ!」と、SNSで念を押すサポーターが数多く居たとか。
ブルーノ・セザル(2015)
ギマる事件が勃発した後、トルコキャンプを経てシーズン開幕前にベルマーレに加入したのは、ブラジル人FWのブルーノ・セザル。
身長190センチの長身ポストワーカーで、第2節の鹿島アントラーズ戦でJリーグデビュー。
独特のボールタッチと懐の深さを活かしたポストプレーが得意な選手でしたが、半年もたずにベルマーレを退団することになります。
キリノ(2015・2016)
2015年9月、ベルマーレと色々なドタバタ劇を巻き起こしたキリノが2年ぶりにベルマーレに復帰。
当初の予定では6月に加入が発表される予定でしたが、選手登録を行う前の練習で重傷を負ってしまい、正式加入が9月へとずれ込みました。
2016年もチームに残留したキリノでしたが、前回在籍時の頃からは別人のようにプレーにキレがなくなっており、この年の夏に大分トリニータへと移籍します。
ジネイ(2016・2017)
2016年夏にベルマーレに加入したのは、鹿島アントラーズからやってきたジネイ。
実力派のブラジル人FWとして鹿島での評価が高かったジネイでしたが、怪我の多さがネックとなってベルマーレにやってきたジネイ。
移籍当初はベルマーレのスタイルに馴染むのに苦労しましたが、リーグ終盤戦からはセンターフォワードの位置でその実力の高さを発揮できるようになり、天皇杯でも活躍します。
翌年もチームに残留したジネイは、巧みな間合いのポストプレーを武器に前線の中心選手として躍動。
"とにかく収まるジネイ"としてだけでなく、リーグ戦ではチームトップの12得点を挙げて、J1昇格&J2優勝に大きく貢献。
ベルマーレの選手としては2011年の田原豊以来となるハットトリックもこの年に記録したりもしました。
パフォーマンスは申し分なかったのですが、細かい負傷が多い上に、稼働率が決して高くないというのが編成を組む上でマイナスポイントになってしまったのか、2017シーズンをもってベルマーレを退団します。
イ・ジョンヒョプ(2018)
2018年に9番をつけたのは、韓国代表経験のあるイ・ジョンヒョプ。
チーム始動後に韓国の釜山アイパークから期限付き移籍でやってきたジョンヒョプは、開幕戦からセンターフォワードとして先発出場。
開始8分にチームのファーストゴールとなる挨拶代わりの得点を決めると、試合を通して高さと強さを発揮してチームの勝利に貢献。
得点数は多くなかったものの、その献身性の高さでセンターフォワードのファーストチョイスとして定位置を得たジョンヒョプでしたが、5月上旬の試合中に足首を骨折する全治3ヶ月の重傷を負って戦線離脱。
すると、その戦線離脱の間にベルマーレにやってきた山﨑凌吾にポジションを奪われてしまい、復帰後はなかなか調子が上がらずに微妙な出来が続いたジョンヒョプはシーズン終了後に韓国へと帰還。
昨年は韓国代表に再び返り咲くパフォーマンスを披露し、東アジア選手権では日本代表戦にも出場しました。
指宿洋史(2019〜)
2019年から現在に至るまで9番を背負うのは、196センチの長身痩躯FW、指宿洋史。
開幕当初は出場機会を得ますが、夏場にクリスランが加入してからはメンバー入りも難しくなってしまった指宿。
しかし、浮嶋敏監督就任後から最前線のファーストチョイスとして出場機会を得るようになった指宿は、得点こそなかったものの、ポイントを抑えたプレーで躍動。
ですが、先発出場だと調子が良くできるのに、途中出場をするとまったくと言っていいほどチームを活性化できない、という欠点も目立ってしまうなど、少し使い所が難しい側面も見えてしまいました。
日本人離れした高身長を持つ指宿ですが、空中戦はあまり強くはなく、むしろ、足元の技術に優れた割と器用なセンターフォワードであります。
その高身長が故に間違った見方をされやすい選手ではありますが、指宿なりのフォワード像を確立してもらって、出来る限り得点数を増やしていってもらいたいなと思います。
途中加入に、途中退団が群を抜いて多い歴代の背番号9たち。
振り返るのに時間はかかるけど、楽しいわ(笑)
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