湘南ベルマーレ背番号列伝シリーズ(8番編)
こんなしょーもない企画を始めてから、1週間が経ちました。
あまり反響はないのは想定済みですがw、続けることを第一にやっていきたいと思います。
ベルマーレの象徴的番号?の背番号8を振り返っていきます!
MF オルティス(00)
MF フチカ(00)
FW 栗原圭介(01・02)
MF 熊林親吾(03・04)
FW 佐野裕哉(05)
MF 坂本紘司(06〜12)
MF 高山薫(13)
MF 梶川諒太(14)
MF 山田直輝(15〜17)
DF 大野和成(18〜)
オルティス(2000)
初代8番は、パラグアイ人MFのオルティス。
ベルマーレ平塚から湘南ベルマーレへと生まれ変わった2000年に同胞のサナブリアと共に加入しますが、6月に契約解除となり、そのまま帰国してしまいました。
フチカ(2000)
オルティスが退団した後に8番をつけたのは、クロアチア人MFのフチカ。
フチカも半年のみの在籍でしたが、当時のチームにはクロアチアリーグでもプレーした松原良香が所属していた為、2人はとても仲が良かったそうです。
引退後は代理人に転身、2013シーズンに加入したステボ(明日登場予定)の代理人を務めていたことも、オールドファンの間で少し話題になりました。
栗原圭介(2001・2002)
2001年から2シーズンに渡って8番をつけたのは、ヴェルディ川崎から加入した栗原圭介。
加入初年度は負傷離脱した時期がありながらも、高田保則との強力2トップを形成して、33試合17得点を記録。
当初は期限付き移籍での加入だった為、翌年にはチームに居なくなってしまうと残念がったサポーターも多かったのですが、その予想に反して栗原はなんとベルマーレへの完全移籍を果たし、翌年もベルマーレでプレーすることになりました。
2002年のJ2リーグでは38試合に出場。
得点数は7得点と前年の半分以下に下がってしまいましたが、キャプテンとしての貢献度は高く、伊藤裕二(1番編で登場)と共に、若手選手を引っ張るベテランプレーヤーとしてチームを引っ張りました。
引退後は指導者に転身、2014年から2シーズンに渡ってベルマーレの業務提携クラブでもある福島ユナイテッドの監督を務めたこともありました。
熊林親吾(2003・2004)
2003年から2シーズンに渡って8番をつけたのは、前年にジュビロ磐田から加入した熊林親吾。
シーズンの途中加入でありながら、5位フィニッシュを果たした前年のチームの原動力として活躍した熊林は、高校時代に"東北のヒデ"と称されたパスセンスを武器に中盤を活性化。
リーグ戦37試合に出場し、翌年からは完全移籍に移行します。
しかし、2004年は監督交代が2度も行われた大変流動的なシーズンで、熊林の出場試合数も前年の半分ほどになり出場機会が減少。
ベルマーレを2004年限りで退団し、複数クラブでプレーした後、故郷のブラウブリッツ秋田で現役生活を終えました。
佐野裕哉(2005)
2005年に8番をつけたのは、東京ヴェルディから加入2年目の佐野裕哉。
前年の2004シーズンの中盤戦あたりから台頭してきた佐野は、前線の中心選手として活躍。
2005年のチームでも2トップの一角、攻撃的MFの位置でプレー。
同い年で同じ静岡県出身の鈴木良和との息のあったコンビプレーも武器でしたが、2005年のオフに行われた選手編成の大刷新により、ベルマーレを退団しました。
坂本紘司(2006〜2012)
2006年から7シーズンに渡って8番をつけたのは、ベルマーレの象徴であり、伝説でもある男、坂本紘司。
2000年の湘南ベルマーレ加入初年度を除き、チームの主力選手として走り続けた坂本は、2006シーズン途中に攻撃的MFの位置からボランチへと本格的に転向。
最初の方こそ不慣れな場面も見られましたが、昇格争いを演じられるようになった2007年・2008年の2年間ではボランチの中心選手として躍動。
チームを引っ張る選手として大きな成長を遂げることになります。
2009年からは監督が菅野将晃から反町康治へと交代。
坂本は反町監督の意向でボランチからインサイドハーフへの転身をすることになります。
すると、元々は攻撃的な位置の選手としてプロ入りした先天的なセンスと、近年のボランチ起用で培われた守備や運動量といった部分の後天的な能力が見事に合わさり、坂本は例年以上に攻守でチームに大きな貢献度をもたらします。
特に攻撃面での貢献が凄まじく、それまで二桁得点を取ったことがなかった坂本でしたが、2009シーズンは自己最多の13得点を記録。
(自身初のハットトリックを達成したこともありました)
特に、リーグ戦13得点目となった第49節のヴァンフォーレ甲府戦で挙げた決勝ゴールは、今でもなおベルマーレ史に残る伝説のゴールとして、サポーターに語り継がれています。
11年ぶりのJ1リーグ復帰となった2010年、プロ生活14年目にしてようやくJ1リーグ戦デビューを果たした坂本ですが、チームも個の力も大きく力不足だったこの年が、現役生活で唯一J1リーグで出場することが出来た1年となりました。
1年でのJ1リーグ復帰を目指した2011年は、ボランチやサイドハーフなど、状況によって様々な役割を与えられるようになり、この年は35試合出場で6得点を記録しました。
監督が反町康治から曺貴裁へと変わった2012年、これまで以上に攻守に関わる走力と切り替えの速さが求められるようになったチーム事情により、坂本の先発出場の機会も減少していきます。
ベルマーレの主力選手に定着してからというもの、リーグ戦の出場試合数が30試合を切ったことがなかった坂本でしたが、2012年のJ2リーグでは25試合出場に留まり、得点もゼロでした。
湘南ベルマーレの顔として活躍し続けていた坂本は、逆転でのJ1昇格を決めた数日後に現役引退を表明。
坂本の引退セレモニーも兼ねて行われた昇格記念イベントでは、イベントの最後に挨拶を行い、サポーターは涙なしには坂本を見ることができませんでした。
ベルマーレ在籍13年間で456試合出場、57得点。
坂本がベルマーレにいる間にJ1昇格を達成できたことが、どれだけ重要なことなのか計り知ることができませんね。
湘南象徴(バンディエラ)として走り続けた坂本は、現在、チームのテクニカルダイレクターとして、選手を編成する立場の仕事に邁進しています。
高山薫(2013)
坂本紘司が長らくつけていた8番を2013年につけたのは、専修大学から加入3年目の高山薫。
前年のJ2リーグでは左ウイングバックの位置で年間を通して圧倒的な走力を見せた高山は、自身初のJ1リーグの舞台でも自分らしさを大きく発揮。
自身が育成年代の時に下部組織に所属していた川崎フロンターレ相手には、ホームとアウェイ両方の試合で得点を決めるなど、"川崎キラー"っぷりを大いに発揮。
この年のチームトップの4得点を挙げる活躍を見せますが、チームは1年でJ2に降格。
しかし、高山の実力自体は他のJ1チームからも認められ、当時の柏レイソル監督だったネルシーニョ監督に直接電話をされたという手厚い待遇を受けた高山は、柏レイソルに"個人残留"することになります。
梶川諒太(2014)
2014年に8番をつけたのは、東京ヴェルディから加入2年目の梶川諒太。
前年のJ1リーグでは2シャドーの一角やボランチでの起用をこなし、正確なボール扱いの技術と巧みに周囲を活かすセンスの高さを見せて、攻撃に選択肢をもたらすリンクマンとして躍動。
その活躍が認められて、期限付き移籍から完全移籍へと移行した梶川でしたが、開幕戦の前半終了間際に退場処分を受けると、チーム内の競争の激しさも相まってなかなか出場機会を得られずにわずか6試合の出場に留まり、翌年からはV・ファーレン長崎に移籍することになります。
山田直輝(2015〜2017)
2015年から3シーズンに渡って8番をつけたのは、浦和レッズから加入した山田直輝。
10代後半のうちに日本A代表デビューを飾り、その将来がとんでもなく期待されていた逸材でしたが、相次ぐ大怪我に悩まされるなどの不安も重なり、浦和で出場機会を失っていました。
再起を図る為にベルマーレにやってきた山田ですが、1年目はリーグ戦17試合、2年目は19試合の出場に留まり、なかなか本調子を継続して発揮できないところがありました。
しかし、2016年の終盤から好プレーを連発していた山田は、3年連続の期限付き移籍の形をとった2017年にその大きなポテンシャルを年間を通して発揮。
自分も味方も大いに活かす生まれながらのサッカー小僧が、巧さも逞しさも増してピッチ上の攻撃のリーダーとして大きく躍動。
この年の山田はリーグ戦39試合に出場。
2009年のJ1リーグ22試合出場以来となる、リーグ戦20試合以上の出場を達成し、ようやく復活の狼煙を大きく上げた年となりました。
チームのJ1昇格とJ2優勝に大きく貢献した功労者の1人でもあった山田でしたが、2018年は浦和レッズへと帰還することを決断。
サポーターも泣く泣く山田を浦和へと帰す形になりましたが、2019年の夏、山田直輝は再び湘南ベルマーレへと戻ってくることになるのです。
大野和成(2018〜)
2018年から現在に至るまで8番を背負うのは、センターバックの大野和成。
2012・2013シーズンはアルビレックス新潟からの期限付き移籍という形でベルマーレに加入していましたが、2013シーズン終了後に新潟へ帰還。
新潟でプレーを続けていた後、5年ぶりにベルマーレへと"復帰"することが発表されたことにも沸きましたが、ベルマーレの中でも特に重みがある8番を背負ったことにも、大変驚かされました。
開幕当初は不安定なプレーが目立ちましたが、時間の経過と共に安定感も段違いになり、リーグカップ優勝・J1リーグ残留を成し遂げたチームにとって欠かせない守備の柱として活躍しました。
2019年は高山薫の移籍に伴ってチームキャプテンに就任。
昨年のチームは曺貴裁前監督のパワハラ指導疑惑報道で揺れに揺れまくったシーズンでしたが、その影響で空中分解寸前にまで陥ったチーム状態の中でも大野は先頭に立ってなんとか闘い続け、チームリーダーとして周囲を引っ張りました。
最終的にはJ1参入プレーオフまでもつれた残留争いで生き残ることができたベルマーレ。
キャプテンとしての重責を担っていた大野にはとてつもないプレッシャーがかかっていたでしょうが、よくぞ跳ね除けてくれましたね。
今季はチームキャプテンの座を岡本拓也に譲りましたが、選手会長として"カズ王選手権"を盛り上げてくれていた大野。
身体を張ったり投げ出したり、どんな苦境でも前進することを厭わない大野の存在は、チームにとってまだまだ必要な選手なのは間違いないでしょう。
8日のうちに投稿するというミッション、ギリギリ間に合って良かった(笑)
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