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「わたしもあなたも同じ人間」だからこそ、テラスハウスが好きだった

昨日、プロレスラーの木村花さんが亡くなった。
詳しい死因や経緯に関してはまだ明らかになっていないので、ここで言及することは避ける。

彼女はNetflix・フジテレビ制作の人気リアリティショー「テラスハウス」に出演していた。
わたしはこの番組がとても好きで、毎週火曜0時の配信を心待ちにしていた視聴者のひとりだった。

わたしがテラスハウスに惹かれていた理由は、ひとつ屋根の下に住む男女6人の出演者の間に生まれるコミュニケーションのあり方が、とてつもなく生々しかったからだ。
そのリアルさがときに視聴者の共感を生み、ときに反感を買い、最新話が配信されるごとにTwitterを中心としてネット上で盛んな議論が行われた。
亡くなった木村花さんは、「叩き」の標的になりやすい出演者のひとりであった。

大前提として、わたし自身が立派な人間ではないし、もしテラスハウスに出演したら拙い言動を取り沙汰されて大炎上するに違いない。
それでも入居者の立ち振る舞いを見て「いやいや、いくら喧嘩中でもこの言い方はあかんだろ」とドン引きしたり、「うわー、わたしもこういう行動して人を傷つけちゃうことあるわ……」と反省したりしながら楽しんでいた。

他者とのコミュニケーションに何度もつまづいてきたわたしにとって、テラスハウスは学びの多い番組だった。
なかでも強烈に印象に残っていたのは、2018年に放送された軽井沢編に登場した田中優衣さんの存在だった。


本人は(恐らく)正義感で行動していたのだろうけど、不要な発言の数々でとあるメンバーを傷つけ、他の入居者をも巻き込んで人間関係をこじらせ、シリーズ終盤に地獄のような展開をもたらしてしまった優衣さん。

その一部始終を見てスタジオメンバー(VTRに対してああだこうだ意見を言って番組を盛り上げる役割)のトリンドル玲奈さんが、「優衣ちゃんわかんないのかもですね、それを言うことによって(メンバーどうしが)バチバチになっちゃうって」とフォローを入れた。
のだが、それに対しアジアン馬場園さんが苛立った様子でコメントした。

「わかってないとしたら、わからないとね。1秒でも早くね」

この「1秒でも早く」という言葉が、わたしの胸にグサッと突き刺さった。
まるで自分に言われているような気分だったのだ。

わたし自身、「空気が読めない」「一言多い」と友人に叱られることが多かった。
そのたびに治さなくてはと思っていたのだけど、致命的だったのは発言ひとつひとつ自体には悪気がなく、誰かに指摘されるまでその「ヤバさ」にまったく気がつかない点だった。

目指すべきゴールはわかっているのに、そこに辿り着くまでのプロセスがまったく見えない、という状況はわたしを苦しめた。
周囲に申し訳ない、早く治さなきゃ、でもどうやって? と悩んでいた真っ最中、馬場園さんのあの言葉はあまりにも耳に痛かった。


結局、「とにかく人の話を聞くこと」が大切だと理解して注意を払うようになってから、この短所も少しは改善されたようだ。
こんなわたしを見放さず、何年も付き合いを続けてくれている友人たちには感謝しかないのだけれど、テラスハウスを見ている中でふと思うのだ。

多かれ少なかれ、誰もが自分の醜い部分と向き合わなくてはならないときが来る。
そのタイミングは、他者を傷つけてしまったときだったり、自分の言動が原因で友人や恋人を失ってしまったときだったり、人によってさまざまだろう。
短所の克服にはとてつもなく時間がかかる。無理に克服しなくていい短所もあるかもしれない。

けれどそんな長い道のりの途中で、自分の未熟な言動だけを切り取られて公共の電波に流されたら?
空気が読めないとか、あるいは八方美人すぎるとか、はたまた時間やお金にルーズだとか、目につきやすい欠点ばかり取り沙汰され、他にたくさんある長所はカットされてインターネットに晒されたら?
想像するだけで血の気が引く。

残念ながら、テラスハウスとはそういう側面を持つコンテンツだ。
個性的でアクの強い入居者の周りではドラマが生まれやすい。いわゆる「撮れ高」が抜群なのだ。
田中優衣さんも、木村花さんも、何十時間、何百時間と撮影されたテラスハウス内での生活の中から、公にしたら物議を醸すような振る舞いを意図的に切り取られ、問題児のイメージを植えつけるような編集をされることが多かった。


木村花さんの訃報を目にしてすぐ、わたしは自分の過去のツイートを遡った。
現時点ではテラスハウスを卒業している特定のメンバーに対して、「あの子まじで無理」とか「マウントとるのやめろ」とか批判していた、半年ほど前の発言をすべて消した。

本人のアカウントに直接メンションを飛ばさなければ、なにを書いてもいいと思っていた。実際には、鍵をかけずにネットに書いた時点で本人の目に触れる可能性があるのに。
友人とおしゃべりするような感覚で、個人の名前を出して好き勝手ツイートして、賛同や共感の「いいね」をもらって誇らしげにしていた自分を心から恥じた。

テラスハウスに入居するのは、主に普段からカメラを向けられることに慣れているモデルや役者、スポーツ選手、または番組を通して名を売りたいタレントの卵のような人たちだ。

でも彼らがテレビに出ている人間だからといって、何気なく発した言葉を引き合いにして袋叩きにされても、罵詈雑言を浴びせられ人格否定をされても、ショックを受けない強い精神を持っていると思ったら大間違いなのだ。

わたしも彼らも同じ人間で、だからこそテラスハウスはリアリティに溢れるおもしろい番組だったはずだ。
それが今回の事件をきっかけに、到底手放しでは楽しめなくなってしまった。


SNSが生活の一部となっている今、コンテンツをつくる側だけでなく、消費する側にもリテラシーが求められる時代だ。
人の死を受けて今さら実感するなんて情けないけれど、ようやく自分ごととして捉えるきっかけになったと思う。

不特定多数の誰かに説教をしたいわけではなく、自戒のために書いていたらこんなに長い文章になってしまった。


花ちゃん、耳に痛い言葉を受け止めきれなくてパニックになってしまったり、自分を守るために攻撃的な態度をとってしまったり、不器用で幼いあなたに共感してたよ。
自分を責めてしまったかもしれないけど、生きてさえいれば、いくらでもやり直せたんだよ。
最後まで苦しんでいた人に、ご冥福をとかRIPとか、そんな無責任なことわたしには言えないよ。
あなたのかわいい笑顔がすきだったよ。



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