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【読書録】『SHOE DOG(シュー・ドッグ)』フィル・ナイト

今日ご紹介する本は、フィル・ナイト(Phil Knight)著の『SHOE DOG(シュー・ドッグ)』(2017年、東洋経済新報社)。訳は、大田黒奉之。副題は『靴にすべてを。』

本書は、世界的なスポーツ用品メーカーであるナイキ共同創業者のフィル・ナイト氏(以下、親しみを込めて「フィル」と呼ばせていただく。)による自伝だ。

フィルは、1962年に日本のオニツカ(現アシックス)の代理店ブルーリボン社としてビジネスを創業した。山あり谷ありのなか、ビジネスを拡大させ、独自ブランドの「ナイキ」を立ち上げ、社名も「ナイキ」に変更。1980年に会社を上場。1964年からCEOに就任、1980年に上場、2004年まCEOを務め、その後2016年まで会長を務めた。

540ページを超える分厚い本だが、読みやすく、楽しく一気に読めた。ノンフィクションの自伝なのに、ドキドキハラハラのストーリーで、手に汗にぎりながら読んだ。

以下、特に気に入った箇所を引用しておく(ネタバレにご注意ください。)。

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1962年に初めて日本に上陸したフィルに、元米兵から日本のビジネスについて語ったくだり。 

「(・・・)日本人は押しの強さに反応してくれない。交渉はソフトで柔軟に行われる。アメリカ人とロシア人がヒロヒト天皇を説得して降伏させるのにどれくらいかかったと思う? 降伏した時、彼は国民に何と言ったと思う?『戦争は日本の優位には進まなかった』というふうに言ったんだ。間接的に表現する文化なんだ。誰も君を叩きのめしはしない。直接ダメだとも言わない。かといってイエスとも言わない。彼らは輪になって話し、明確な主語とか目的語とかを言わない。落ち込まなくてもいいが、調子に乗ってもダメだ。散々だったと思ってオフィスを出ても、向こうは契約に乗り気なのかもしれない。契約を結んだと思ってオフィスを出ても、実は断られていることもある。本音がどうにもわからないんだ」

p33-34

オニツカとの交渉で、フィルが東海岸にオフィスがあると嘘をついたくだり。

「ですが」と私は慌てて言った。「ブルーリボンは東海岸にオフィスがあります」
 キタミはのけぞった。「そうなんですか?」
「はい」と私は言った。「東海岸、西海岸、じきに中西部も設けるかもしれません。国中の流通を手配できます。確かです。」私はテーブルを見回した。厳しい顔がほぐれていった。
(中略)
 私は努めて冷静に書類にサインして、5000足を追加注文した。しめて2万ドルだが、私は持っていなかった。キタミは東海岸のオフィス宛にシューズを送ると言ったが、そのオフィスもまだ用意できていない。
 正確な住所を後日電報で送ると約束した。

p145

フィルがオニツカの社員のフジモトに心づけを送り、彼が協力者となったくだり。

 翌日私はアメリカに戻った。着いてさっそく50ドルを封筒に入れてエアメールでフジモトに送った。「新しい自転車の足しにしてください。友人へ」
 数週間後、フジモトから封筒が届いた。私の50ドルがメモにくるまれていて、金をもらっていいか上司に聞いたらダメだと言われたと書いてあった。
 追伸が書いてある。「私の自宅に直接送ってもらえたら、いただいておきます」
 私はそうした。
 こうしてまた1人、人生を変えるパートナーが生まれた。

p192

米国訪問中のオニツカのキタミをオフィスに迎えて商談した際に、フィルがキタミのブリーフケースから書類を抜き取ったくだり。

 1時間近くが経って、彼はトイレに行くと言って立ち上がった。通路を下りたところですと私は言った。
 彼がいなくなると、私は机の後ろから飛び出て、彼のブリーフケースを開けて中をまさぐり、彼が見ていたと思われるフォルダーを取り出した。それを机の上の記録帳の下にさっと入れ、席に戻ってその上に肘を置いた。

p240-241

メインバンクがナイキを見放したとき、日本の商社である日商岩井がナイキを支援した。同社担当者のスメラギは、会社に隠してナイキ宛のインボイスを隠すことで、ナイキに便宜を図っていた。スメラギがそのことを上司のイトーに告白した場面。

「(・・・)ナイキは私にとって我が子のようなものです。我が子の成長を見るのはいつだってうれしいものです」
「それでは君がインボイスを隠したのは・・・つまり・・・彼らのことが好きだからというわけか」
 非常にバツが悪そうにスメラギは頭を下げた。「はい」といった。「はい」と。

p384

日商岩井のイトーが、バンク・オブ・カリフォルニアに対し、ブルーリボン社の借金を肩代わりすると伝えたくだり。

「それならば、日商がブルーリボンの借金を返済します。全額」
 ホランドが目を凝らした。「全額・・・?」
 イトーは低く、声にならない声で返事をした。私はホランドを睨みつけた。私は、これが日本人だと言ってやりたかった。言葉を詰まらせながらでも。
(中略)
 イトーはイスを回転させ、全員を氷点下のような冷ややかな目で見つめた。
「もう1つあります。お宅の銀行はサンフランシスコで、うちと取引しようと交渉しているそうですが」
「そうです」とホランドは言った。
「ああ、それならこれ以上交渉しても時間の無駄でしょう」

p387

フィルから読者へのメッセージ。

(・・・)20代半ばの若者たちに言いたいのは、仕事や志す道を決めつけるなということだ。天職を追い求めてほしい。天職とはどういうものかわからずとも、探すのだ。天職を追い求めることによって、疲労にも耐えられ、失意をも燃料とし、これまで感じられなかった高揚感を得られる。
 権力を打破しようとする人たち、世の中を変えようと思う人たちに言っておきたいのは、背後で常に目を光らせている連中がいるとうことだ。成功するほど、その目も大きくなる。これは私の意見ではなく、自然界の法則だ。

p543

みんなに言いたい。自分を信じろ。そして信念を貫けと。他人が決める信念ではない。自分で決める信念だ。心の中でこうと決めたことに対して信念を貫くのだ。

p544

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世界的大企業を一から立ち上げた起業家の、壮大なサクセスストーリーだった。今でこそ世界のナイキだが、長らくの間、山あり谷あり、苦労の連続だった。日本のオニツカや、取引先から冷たくあしらわれ、資金繰りもいつもギリギリ、銀行にも見放された。オニツカとは訴訟で争うことになり、さらに財務省まで高額な関税をかけてくる始末。一難去って、また一難。ハッタリをかましたり、書類を盗み見たりと、危ない橋も渡った。ビジネスを興すのは本当に大変だ。しかし、その都度、少しずつかけがえのない仲間を増やし、共に知恵を絞って困難を乗り越え、社会に大きなインパクトをもたらした。きっと、苦労を補ってあまりあるほどのやりがいを感じたことだろう。

また、世界のナイキが、日本と浅からぬ縁があると分かり、感慨深かった。ナイキの始まりは、フィルが一念発起して渡日し、神戸のオニツカのシューズの販売権を得たことであった。資金繰りがいつも綱渡りで、いよいよ危なくなったときに支援をしてくれたのは、米国でビジネスをしていた日商岩井だった。そのため、日本人ビジネスマン(文字通り男性ばかり)が多く登場する。彼らについての描写は、大変興味深い。ずる賢くのらりくらりと交渉したり、ここぞというときには大胆に一か八かのリスク取ったりして、けっこう堂々としており、野心的であったようだ。この時期に日本経済を成長に導いたジャバニーズ・ビジネスマンに敬意を抱いた。

ところで、フィルがシューズビジネスを立ち上げた当時は、ランニングは、まだスポーツとして普及していなかった。現在、世界中にたくさんのランニング愛好家がいて、たくさんの人がランニングシューズを履いていることからすると、隔世の感がある。私自身、ひとりのランニング愛好家であり、ナイキシューズの愛用者でもある。スポーツ選手のみならず、一般人でもランニングを楽しめる土壌を作ってくれたフィルとナイキの物語に出会えて、嬉しかった。

ちなみに、本書『Shoe Dog』にご興味のある方には、以下のドラマ映画『AIR(エア)』(by Amazon)もおすすめだ。

ナイキのバスケットシューズ「エア・ジョーダン」の誕生の物語。マッド・デイモンが主演で、ナイキのバスケ部門の社員ソニーを演じているが、監督のベン・アフレックも、CEOのフィル役で出演している。作品内で、ソニーがフィルのことを "Shoe Dog" と呼ぶシーンがあり、本書のことを思い出してニヤリとした。

ご参考になれば幸いです!

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サザヱ
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